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2026年01月23日18:16

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偏屈モンAI添削(6848)

朝日新聞で、将棋の羽生善治さんによるエッセー「羽生善治の一夫千金」が始まった。第1回は「バッハのような加藤九段」だという。

加藤一二三九段は1940年生まれ。14歳7カ月で四段、18歳でA級八段、20歳で大山康晴名人と名人戦を戦った。以後も大山・中原誠らとタイトル戦を戦い、42歳で中原名人を破って名人位についた。数字だけを並べれば、まぎれもない天才棋士である。

最近では、藤井聡太四段(当時)との最年長・最年少対決や、テレビでの特集などによって再び脚光を浴びた。しかし、自分にはどうにも「奇人」「偏屈者」という印象の方が先に立つ。

「猫のエサやり事件」は象徴的だが、それ以上に違和感を覚えたのは、かつて『将棋世界』に連載されていた自戦記である。将棋の内容解説は参考になる一方、巻頭で延々とキリスト教の信仰について語られていたのには閉口した。教会の広報誌ならともかく、将棋専門誌で読む話なのか。将棋ファンに向けた媒体で、自身の信仰告白を長々と展開する神経が理解できなかった。

また、年齢とともに勝てなくなってからは、感想戦を行わず、対局後すぐに駒を片付けて立ち去る姿が観戦記にしばしば描かれるようになった。昼も夜も同じものを食べる、チョコレートをむしゃむしゃ食べるといったエピソードも紹介されていたが、そうした奇行よりも、感想戦を放棄する態度の方がよほど問題だろう。

感想戦はプロ棋士にとって、対局相手や記録係、そして将棋そのものに対する最低限の礼儀である。それをせずに席を立つ姿は、町の将棋道場で負けた腹いせに駒を放り出すアマチュアと大差ない。年齢や実績で免罪される話ではないと思う。

若い頃の加藤九段の将棋は切れ味鋭く決して嫌いな棋士ではなかった。それだけに、晩年に積み重ねられた言動によって、棋士としての評価よりも「扱いづらい人物」という印象が前面に出てしまったのが惜しまれる。

羽生善治が「バッハのようだ」と評したこと自体は興味深い。しかし、その比喩の高尚さと、私の中に残る加藤一二三像との間には、どうにも埋まらない距離がある。(2017,4,18)
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