しょうもない話である。
義姉がアビのお見舞いに来てくれた。旅行の時など、何かと世話になっている。
猫は犬ほど好き嫌いがはっきりしない。興味がある時は少し近寄って様子をうかがうが、たいていはこちらが近づくと逃げる。
いつも配達してくれる本屋には、大きな猫が二匹いる。兄弟だという。中央の台の上に寝床があり、二匹は丸まって眠っているか、店の中を散歩している。近づくと逃げる。自分は犬でも猫でも触らない。匂いがつくと、アビが嫌がるだろうと思うからだ。その代わり、顔を覗き込んで話しかける。先日はなぜか一匹が台を降りて、しばらく自分の周りをぐるぐる回っていた。たまたまだろう。
ここからが本題である。義姉と妻の会話の中で、妻が自分のことを二度「パパが」と言った。夫婦だけになってから言った。
「パパはやめて。あなたのパパはもう死んでるんだから」
娘がいる時はパパやママでもいい。しかし、夫婦だけの時や他人の前で言われると、そりゃ誰のことや、と思ってしまう。
ふと思い出した。シリアなどイスラーム圏では、男の子が生まれると父親は「〇〇の父」と呼ばれるようになる。ムハンマドという息子がいれば「アブー・ムハンマド」である。娘の名が使われることはない。これも風土というか、文化なのだろう。
「じゃあ何て呼ぶの? おーい、とか、お前、という話になるよ」
夫婦の呼び方は、年を取るほど難しくなる
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