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2024年11月22日22:39

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11月17日(日)東京の秘境、青梅・奥多摩への旅 紅葉爆発 カルスト地形 ニホンカモシカとの出会い テーマ曲 ZARDの「淡い雪が溶けて」他最新2024年11月22日高幡不動尊 JR青梅線開業130周年記念!

清掃機器メーカーのケルヒャー ジャパン(神奈川県横浜市)は11月22日、佐賀県にある岩屋川内ダムにダムアート作品が完成したと発表した。高圧洗浄機を使い、ダムの壁から汚れを洗い流して、ゴジラを描いたのである。巨大なブロックから顔を出すゴジラは、実にリアリティーに富む。

高圧洗浄機でダムに巨大な「ゴジラ」描いた 佐賀県とケルヒャーの“ダムアート”プロジェクト
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 目次
� �2024年11月17日(日)東京の秘境 奥多摩・青梅への旅 カルスト台地、ニホンカモシカとの出会い テーマ曲 ZARDの「淡い雪が溶けて」全3章
�◆�2023年11月22日(木)2024年11月22日(金)東京都日野市 高幡不動尊 万灯篭

��2024年11月17日(日)東京の秘境 奥多摩・青梅への旅 カルスト台地、ニホンカモシカとの出会い テーマ曲 ZARDの「淡い雪が溶けて」 

 前回奥多摩関連日記 2023年11月19日(日)の旅 テーマ曲「黄昏にMy Lonely heart」https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986394908&owner_id=32437106

11月17日(日)、前日の天気予報は、時々日差しがあるものの、薄曇とのことだった。降水確率は20%未満、19日以降冷え込むとの情報から、薄手の長袖で日中行動できるうちにと、慌てて東京都の西の外れ、奥多摩町に出かけた。予想に反して、天気に恵まれ、都市部では最高気温23度まで上がった。都市部より気温が低いとはいえ、日差しが温かく感じられた。今回旅のテーマ曲は、ZARDの「淡い雪が溶けて」、同曲は、2004年11月24日に39作目のシングルとしてリリースされた「今日はゆっくり話そう」に収録されている。
しっとりとしたバラードナンバーの歌詞は、別れた二人を、冬の訪れを示す粉雪に例えていた。都市郊外の奥多摩町は、首都圏で最も冬の訪れが早く、例年12月にもなれば、朝方氷点下まで下がる。1月には初雪が観測される。切ない気持ちを抱えながら旅をする若者に例えて、進めていく。

 動画=淡い雪が溶けて 初めにCMあり


 目次
第1章 東京の巨大な水がめ 奥多摩湖へ
第2章 氷川渓谷 鳩ノ巣渓谷 青梅市御岳渓谷へ
第3章 青梅駅へ そして吉川英治記念館ライトアップ


          第1章 東京の巨大な水がめ 奥多摩湖へ
 
朝8時前、奥多摩駅は、大勢のハイキング客を見込み、バス会社は臨時便を出して、車内の混雑を緩和した。駅の標高は343m、平年より紅葉は遅く、周囲は色づき初めだった。目的地の標高526mの奥多摩湖は、見頃との情報が入っている。

 8時過ぎには、人口の巨大な水がめ、奥多摩湖に到着した。かつて存在した村名から「小郷地ダム」ともいう。樹木に囲まれた中、満々と水をたたえたダムは、景観の良さから観光名所とも化す。朝早い時間帯、堤防にかかる散策路を行き交う人はまばらだった。警備員に話を聞いたところ、ダムの北側「水と緑のふれあい館」裏の険しい断崖に設けられた見晴らしの丘散策路にニホンカモシカが出没するとのことだった。ウシ科のニホンカモシカは、それぞれテリトリーを持ち、マーキングと呼ばれる匂い付けを行う。二本の指が硬くなった蹄で、岩を引っ掛けて、転落せずに、昇り降りする。かつてニホンカモシカとの出会いを期待して訪れた奥多摩湖、全て空振りだった。自然の動物は少なからず、我々ヒトを警戒する。淡い期待を抱きながら、散策路を進んだ。

 湖畔に点在する桜の木は、まだかすかに赤色の葉を残していた。風で一押しされると、枝から離れてしまうほど、はかない姿だった。

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 旅する青年は、辛うじて枝に残った桜の葉を通して、過去の恋について思い出した。
ZARDの「淡い雪が溶けて」の歌詞を通して進めていく。全詞掲載

歌詞:「言い訳を考えて 途中で何度も 引き返そうかと思った」

振り返ると、新居へ旅立つ前のこと、自分の選択肢は正しかったのか、迷いが生じていた。世の中、田舎から都会へ働きに出るパターンは常態化している。一方で、地方創生が脚光を浴びるように、その土地の文化を継承する必要性さえ感じられた。

歌詞:「駄目だと分かったとたん 服を脱ぎ捨てるようにはいかない」

 一度決めたことは簡単には変えられない。裸一環でやりなおすには勇気がいる。何が良いのか、間違いなのか、揺れ動いていた。

歌詞:「どうか私に揺るがない強さをください」


 心の中で神様に向って願った。

歌詞:「みどりの風の中 このまま目を覚ましたくない」

谷間から吹き抜ける秋風は、幾分冷たく、心をハットさせる。

 一瞬昔に戻っていた。人々の話し声や風を受けるなど、些細な変化で我に返る。

湖面には、船がたたずんでいた。乗組員は見当たらず、波に揺られることなく、静止していた。湖面で列を作って並ぶオレンジ色の浮票(ブイ)に繋ぎとめられているようだった。

 恋においても、相手の気持ちを理解し、がっちり掴むことが慣用である。

対岸では、事故で命を落としたダム建設の従事者の慰霊碑が設けられていた。殉死者87名、一人一人の名が彫られていた。谷間を埋め尽くす程の湖、かつては村々が点在し、一筋の川から水を引き入れ、野菜つくりを行っていた。旧小河内村と山梨県丹波山村及び小菅村の945世帯約6,000人が、強制移転させられたのである。人々の犠牲の上で成り立ったダム、慰霊碑に向って、「豊かな自然をお守りください」と祈りをささげた。

 木製のベンチがある休憩スペースから、下をのぞくと、コンクリートブロックの淵を彩る木々に圧倒される。

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目を転じれば、ほぼV字型を保った山々の稜線の間から、雲を望む。手前から奥へと峰が続くことにより、町から遠のいていくようだった。

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サビの歌詞:「淡い雪が溶けて きっと忘れていくんだろう 涙ポロリ 悲しい思い出ばかりだね」

自然の景観美に圧倒され、いかにヒトは小さい存在なのか、感傷的な気持ちになる。

歌詞:「僕らは言葉を交わすたび 傷つくみたいだ 乾いた日々に I need you」

お互い本音を吐けず、すれ違ったまま日々を過ごしていた。別れは起こるべくして起こったことだった。

 
バス停側へと戻り、断崖絶壁の見晴らしの丘散策路を登っていく。傾斜がきつく、天辺の標高約600mの八方岩展望台まで、複数のコースに枝分かれしていた。南側の湖と共に、北側の斜面にそそり立つ木々を観察した時だった。鉄杭が打ち込まれたブロックの上で体を休 める灰色の瘤状の物体が見えた。ニホンカモシカである。降り注ぐ光を浴びながら体を休めていた。手前の一頭の背後から、かすかに揺れ動く毛並みが見える。奥にもう一頭が隠れていた。手前の一頭は一端立ち上がり、姿勢を正した。首元に寄生虫がついているのか、左足の蹴爪で毛をさすった。

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 角度を変えて、今度は一段高いところから、見下ろした。寝起きのように、ニホンカモシカはほとんど動かずに、目を開けたまま体を休めている。後から、旅の青年が辿ってきた道を登ってきた散歩客も、ニホンカモシカに視線を注ぎ、スマホをかざして、シャッターを押した。足場が悪い崖を昇り降りする姿は、古くから「縁起が良い、幸運を招く動物」と歓迎されてきた。それもそのはず、昔は山の奥深くに暮らす幻の動物だった。1955年には国の天然記念物に指定された。保護の対象になると、人への警戒心が薄らぎ、里へ降りてくるようになった。安定的に食べ物を獲得できたことにより、急速に数を増やした。2024年時点で全国の推定生息数は10万頭である。今では、山間の村人には、身近な生き物だった。

 展望地を目指して歩みを進めること、赤のモミジや黄色のカエデ類の木が張り出し、ところどころトンネルのように日差しを遮る。傾斜がきつい分、張り出した枝と地面との距離が縮まる分、独特の空間が出来る。欅の落ち葉と、枝についたモミジの赤い葉とカエデ類の黄色い葉が庇代わりになる。真平らな土地と比べて、地面に日光が届きにくく、落ち葉の色合いがくっきりと映っていた。ただし日当たりが良い箇所では、大きく影になる。地面が暗くなる分、枝についた葉っぱの色合いが強調される。

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真っ青な水をたたえた奥多摩湖を背景に、色づいた樹木が折り成す心象風景は、大都会東京とは一線を画す。若者らのグループ客や個人のハイキング客が、色づいた木々を眺めながら散策していた。

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樹木の間からのぞく奥多摩湖、夏の間、多摩川を通して、首都圏民に、貴重な水を供給する。東京都の水源の8割は利根川及び荒川水系、残り2割が多摩川水系だった。大都市の機能は、ここ郊外の奥多摩湖からも支えられていた。

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第2章 氷川渓谷 鳩ノ巣渓谷 青梅市御岳渓谷へ

外部リンク さんたつ 2021年3月26日付 https://san-tatsu.jp/articles/91563/
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バスで奥多摩駅へ戻り、徒歩3分のビジターセンターを訪問した。アンケートに答えることにより、ポストカードを戴けるのである。職員によると、平年より紅葉は1週間程遅れていたという。19日(火)以降、冷え込む影響から、多摩川下流の鳩ノ巣渓谷や御岳渓谷まで一気に進むのではないか、とのことだった。室内は仕切りがなく、自然のぬくもりを大切にする習慣から、木製のテーブルと椅子を設けていた。登山客がホット一息つける空間を提供してくれた。

小さな歩道を渡り、真下の崖下に位置する氷川渓谷へと向った。多摩川と日原川の丁度分かれ目に辺り、キャンプ場としても開放されている。キャンプ地は、もう少し下流に設けられ、散歩客とは分けられていた。日光が当たることにより、赤と緑のコントラストがはっきりする。

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前年川の上をまっすぐ飛ぶカワガラスに出会ったものの、この日気配はなかった。川のせせらぎが聞こえる渓谷から離れると、正気に返った。朝7時代と比べて、交通量が多く、信号待ちの列ができていた。こんな狭い歩道でゆったりと立ち止まってはいられない。白丸湖と鳩ノ巣渓谷を目指して、国道をランニングした。隣の白丸駅真下の数馬橋から、その次の鳩ノ巣駅真下の鳩ノ巣小橋との丁度間には、堤防の高さ30mに達する白丸ダムがある。ダムを境に上流は白丸湖、下流は鳩ノ巣渓谷である。上流の数馬橋から、鳩ノ巣小橋へかけて、川沿いの歩道が整備されていた。比較的開放的だった氷川渓谷から一転して、川幅は極端に狭くなった。地質は花崗岩、水の浸食にも強く、形を保ち続けていた。水質は石灰岩により浄化され、エメラルドグリーンを保つ。

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川面には、複数台のカヌーが浮かんでいた。水の流れが止まっている分、初心者でも漕ぎやすい。川面から四季の移ろいを感じていた。散策路は日当たりが悪く、足元はぬかるんでいた。川の方へと枝葉が伸びて、視界を遮る。水音が立たず、静寂に包まれた中、恋人への思いが募った。

 Bメロの歌詞へ

「愛が手のひらに舞い降りてきて 戸惑う心に口付けする」

真っ青な空の下、V字型渓谷の底の散策路へも、幾分日差しが届く。今なお、心のわだかまりは消えていない。それでもミルキー色の澄み渡った水によって、幾分浄化されるようだった。
歌詞:「古い日記を読み返してみると、他人(ほか)の人の話のようで」

 昔と今の自分が変わったことに気付かされた。ただ今の方が気持ちは繊細だった。こうした優美な景観にひきつけられ、感情移入してしまう。恋人がいた頃は、ただ一緒にいたくて、周りの景色に対する思いはなくなっていた。

 白丸ダムが近づくたびに、反対側からくる人の数が増えてくる。時に脇に退いて道を譲った。老年夫婦や外国人観光客、また若いカップルまでさまざまだった。人とすれ違うだけで、思いは複雑になる。自分は、いかに傷つきやすいか、気付かされた。

歌詞:「気付くはずの君の前を 通り抜ける この胸の移ろいをそっと沈めて欲しい」

反対の上流側を歩く散策客と道を譲りながら、白丸ダムへとたどり着いた。海から上ってくるアユ用に、魚道を設けていた。ほぼ垂直のコンクリートの壁は、魚達の行き場を阻む。段差のある魚道に水を張ることにより、飛び跳ねながら進んでいくという。

 
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 奥多摩湖と比べて、一段スケールは小さいとはいえ、切り立った岩と樹木に覆い尽くされる様子は圧巻だった。

 白丸ダムを超えて、散策路を再び進む。鳩ノ巣小橋へと近づくたびに、岩との距離が接近する。苔むした岩肌、断崖にそそり立つ紅葉、切り立った岩の両岸にかかる鳩ノ巣小橋、深山幽谷の風情が漂う1枚は、ごつごつした巨岩や奇岩と錦を織り成す紅葉が競演する不思議な世界が広がっていた。

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鳩ノ巣小橋から下流側へ、一枚のそそり立つ巨大花崗岩の天辺には、祠がある。その祠から、上流側に向って1回シャッターを切った。手前から奥にかけて、岩肌にしがみつくようにカエデやモミジの葉っぱが聳え立つ。右手に見える建物は食事所、垂直絶壁の上に立っていた。モミジはまだ若干色味がかっているとはいえ、緑の状態を保っている。川が作るダイナミックな景観は、まさに自然の産物だった。

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 午後から、鳩ノ巣駅から、沢井駅へと移動した。すぐ真下のお食事どころ澤乃井から
一駅先の御岳へかけて、川沿いの遊歩道を歩く。絶壁の鳩ノ巣渓谷から一転して、川が大きく開けていた。日光が届き、川面を照り返し、底の砂利まで見通せる。遊歩道から国道へかけての傾斜地には、ユズを含め、作物が成っていた。無人販売所には、手軽な値段で、ユズや野菜が購入できる。5個入りユズを手にとり、150円箱の中に入れた。

写真=澤野井付近から上流側
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写真=鵜野瀬橋からの眺め
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川にかかる鵜野瀬橋を過ぎて、階段を登り、国道へと出た。高水山方面の傾斜地に聳え立つ住宅地の中の神社を目指して登った。人っ子人に会わず、周辺の人々の生活音が聞こえる。静かな空間で、恋人への思いがよぎった。

 Bメロのサビ:「淡い雪が溶けて あとかたもなく 二人の夢と約束と共に消えてゆく」

 そういえば、雪解けの春に、別れを告げた。お互い別々の道を歩む。心の中でそう決めていたのだった。だから、度々便りを送っても、返事がないのである。

 「絶望が光を遮っていたみたいだ。寂しい夜にI need you 待っていた」

 写真=境内前の景観
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確かに、連絡を入れても、返事がないと、もどかしい思いに駆られる。しまいには、焦りに変わり、やがてふさぎ込む。旅の目的の一つは、自身を見つめなおすことだった。
青渭(あおい)神社の境内で一礼した。過去を引きずっても仕方ない。「この大きな自然に抱かれた景観をお守りください」と祈りを唱えた。丁度、裏手の高水山だろうか。女性の登山客が、話ながら降りてきていた。人の気配がすると、ほっとする。元来た道を帰っていくところ、行きには気付かなかったクサギの小さな実を見つけた。

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花言葉は「運命的な出会い」、秋に緑の合間から小さな実をまとめて付ける様子から、ひそかな恋を連想させた。自分にも幸せを分けてもらったような感じだった。

 散策路へ戻り、目的の玉堂美術館前にたどり着いた。ひときわ神々しいイチョウの葉、モミジが色づく渓谷の中でもとりわけ存在感を放っていた。今年は夜間ライトアップの方は中止、昼間限りの風景である。遠くから太陽光を照り返した黄色い葉に、思いを寄せていた。

 
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第3章 青梅駅へ そして吉川英治記念館ライトアップ

午後3時を過ぎて、青梅駅から南へおよそ1km、釜乃淵公園へと向った。園内の郷度資料館では、JR青梅線開業130周年が開催されていた。

郷土資料館の展示品
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その入り口前が、旧宮崎家住宅である。元は、北東隣の埼玉県飯能市と接する市内の成木8丁目にあったという。1977年に主の宮崎氏から青梅市側へ寄贈され、翌1978年には重要文化財に指定された。宮崎氏の生家を、よりアクセスが良い釜乃淵公園内で、移築展示した。昔ながらの家の敷地らしく、柿の木から実が成っていた。

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常駐の職員が、詳しく家の構造について説明してくれた。宮崎家は、多いときは7人から8人が暮らした拡大家族だという。木造で間取りが広く、風も入りやすい。クーラーがない時代、縁側で内輪を叩きながら、涼んでいる様子を想像できる。戦後も山間の田舎では、家長制度の名残で、長男が家を継ぎ、次男以降は外へ出て行く風習があった。川沿いの公園内で、昭和の家族姿を描くことができた。

昔は良かった。誰しも一度考えたことがある。過去を懐かしむからこそ、今がある。

Cメロの歌詞へ

 「二人の未来が いつか 繋がっていたらいいね もう二度とこんなに迷子にならないように」

 失敗を悔いていても、先が見えない。人生、受験や就職を含め一大イベントにかける執念が、未来を切り開く原動力になる。自分の行動に責任を持つべきだった。

 歌詞:「私のベッドには眠る犬がいる」

 今の彼女には、他に心を暖めてくれるよき存在がいる。それがペットだったり、両親や兄弟だったりもする。孤独から開放され、人との出会いを通して、人は大人になってゆく。

最終目的地は、JR青梅線から、上り方面で4つ先の二俣尾駅から徒歩15分の距離にある吉川英治記念館、午後4時からライトアップが開催される。入園料は500円、

2018年11月23日には昼間に訪れた。若干高低差のある敷地内では、枝が張り出した松の木と、モミジが接しあう。樹木が作りだす日陰には、石造りの灯篭を設置した。市の名産品「ユズ」も実が成っていた。風雅な日本庭園は、季節感が漂う。作家「吉川英治』は移り行く景色を眺めながら構想を練っていたという。

写真=2018年11月23日(金・祝)撮影

掲載日記 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969304181&owner_id=32437106
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記念館は、「宮元武蔵」や「三国志」を初め偉大な昭和の作家の母屋をそのまま残した。昔ながらの三角屋根に広い間取りの母屋が、日暮れ時にライトアップされると、生活観が漂う。手前のススキを入れると、秋の夜長、鈴虫を聞きながら、原稿を書き続けた昭和の作家像が浮かび上がる。

写真=16時55分           写真=書斎 17時5分
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 トワイライトが過ぎると、空は真っ暗になり、建物の明かりが、頼りになる。足元は暗いとはいえ、ところどころ散策路に設置されたライトによって、辛うじて進むべき道を照らしてくれた。

 歌詞「優しい日々に I need you 愛してた」

 そのまま縁側に座り、庭を見つめた。モミジはまだ緑の葉を残していた。ライトに当たることにより、おぼろげに輪郭が見える。人々は、古くからランプのほのかな明かりを使って、生活していた。

写真=17時14分           写真=17時20分
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発電効率が上がった時代、秋の紅葉からクリスマスイルミネーション、春の桜を含め、ライトアップイベントを行う。

 首都圏の外れの青梅市・奥多摩町を含む「奥多摩地域」は、都市部に暮らす我々が忘れがちな、山の懐に抱かれ、川と民家が隣接する空間がある。川の水は、岩を浸食することにより、土地を平らに、我々人に住処を提供した。冬を前に、一瞬の輝きを見せる紅葉美もまた、自然の産物である。非日常的な世界に心が癒され、帰り道についた。いよいよ首都圏でも紅葉の見頃を迎える。

�◆�2023年11月22日(木)2024年11月22日(金)東京都日野市 高幡不動尊 万灯篭>

 関連日記 2020年6月2日 高幡不動尊 みはらし公園夜景
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975880819&owner_id=32437106

詳細 たかはたモミジ灯路のページ https://shinsenhino.com/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E7%AC%AC16%E5%9B%9E%E3%80%8C%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%BF%E3%81%98%E7%81%AF%E8%B7%AF%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC.php


 青梅市釜乃淵公園から下流へおよそ25km、多摩川に程近い、日野市高幡不動尊で、22日と23日に、「たかはたもみじ灯路」の一環として、ライトアップイベントを開催する。

2023年11月22日は、祭の前に、トワイライト夜景撮影地 南平2丁目みはらし公園に足を運んだ。すぐ裏手は多摩動物公園のアジア園、手前は川沿いを走る京王線南平駅から続く住宅地、北の立川方面から西の高尾山方面、平坦な川沿いに広がる町明かりを見下ろした。

写真=16時51分 写真=17時10分
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陽が翳るにつれて、円錐形を保った富士の頂が、茜色に染まった空へクッキリと浮かび上がる。刻々と移り変わる景色、まさに「マジックアワー」と題されるように、町の明かりと、陽が沈んだ後の空の明暗差がはっきりと現れる瞬間だった。

2024年11月22日(金)舞台は、高幡不動尊に程近い、「ふれあい橋」、正式名称は万願寺歩道橋、川を挟んで行き交う住民が挨拶を交わすうちに、打ち解けていく様子から、ふれあいの名がついた。実際橋の真ん中に設けられたベンチには、ゆったりと腰掛けて、くつろぐ人たちの姿があった。この日は、程よく水蒸気が湧き上がった影響により、西の空には筋雲がかかっていた。沈みゆく太陽光が、雲に跳ね返ることにより、オレンジのグラデーションが出る。

 写真=16時44分          写真=16時47分
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多様に変化する雲は、いつの日も川沿いの住民の暮らしに彩を添える。橋の上で、言葉もなく、見つめていた。

 写真=16時57分 橋の全体像 私の700cの自転車
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高幡もみじ灯ろう祭、2023年と2024年は、同じ日付で行われていた。京王本線と多摩都市モノレールの「高幡不動駅」から徒歩5分未満、アクセスの良いお寺は、6月満開のアジサイの花が参拝客を出迎えてくれる。祭に向けて、準備にも余念がない。高幡不動尊から京王線の駅、さらに奥の多摩都市モノレールの駅下にかけての道路を車両通行止めにする。境内は、通常時よりもライトを多く取り付けた。

空が真っ暗な中、赤く染まった五重塔の麓でまっすぐ続く紅葉回廊は、崇高な気配が漂う。訪れた人々は、ライトに当たったモミジの緑の葉を静かに眺めていた。

境内と駅を結ぶ商店街に並ぶ灯篭はキャンドルがすっぽりと入るサイズに収まっていた、火をつけることにより、影絵のようにうかぶ。地元日野市の幼稚園・保育園の園児も絵柄を作成していた。

 以下 2023年撮影の3枚

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 以下 2024年撮影の3枚

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幻想と幽玄の世界へ誘う灯篭は、我々人が編み出した芸術品だった。地域の商店街を活性化する目的で始めた「もみじ祭」来年以降も続く。

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