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2024年06月11日14:56

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『ザ・グローリー』 第2話  冒頭から1/3まで

第1話

激しいいじめの中で絶望し、校舎屋上から飛び降りようとし、漢江に入水自殺しようとしたが、どちらも思いとどまる。

高校を中退し、経済的自立に迫られ、必死に働くドンウン。
映像では、季節が変わっても、彼女が変わらずに、韓国風手巻き寿司作りや大衆浴場の清掃を行っている様が映される。。

働きながらも懸命に学ぶ。この辺は、学歴重視で、勉強尊重の韓国の社会性を反映しているのかもしれない。高卒認定試験に合格。

こうしながらドンウンは、彼女の姿を見て、遠くから見守ってくれる友人を得る。
そのひとりひとりが、やがて実行される「計画(設計)」の実現につながる。

大学卒業資格取得のタイミングで、高校生役から成人役の女優(ソン・ヘギョ)に移行。
第2話では、この時の彼女から話が始まる。

<第2話>

第2話のイントロ映像は、囲碁。今後重要な因子となる。

物語冒頭、2002年、主人公ドンウンは、紡績工場で働いている。指先にはその汚れが染み付いている。そこで知り合った友人、ク・ソンヒの名前でネット検索し、復讐すべき五人の現在を知る。

レンタル・パソコン屋(まだ昔で、ネットカフェなどがない)で1人その作業をする彼女を写す映像が秀逸。最初は、狭い覗き穴のようなところから写し、次には全体を傾いた画像で示す。

いじめ5人組を映す映像の中にも、のちに重要となる要素が映り込んでいる。仲間の首を刺す鉛筆、死につながる首の刺青、5人の微妙な人間関係。

資金集めのために、時間を削って家庭教師などで収入を増やしているドンウンは、疲労と栄養失調で倒れてしまう。この時の倒れる演技が秀逸。日本だとただフラフラして、額にに手をやるなどして終了だが、ソン・へギュは、もっと緻密なことを自然に行う。

まず足元がちょっとふらついて、でもそのまま”しっかりしなきゃ”と言う感じで歩き出し、意識を失って倒れ込む。この時の”倒れ”も、本当に地面に叩きつけるような倒れ方。地面にマットを敷くなどして撮影しているのだろう。カメラが写しているのは上半身だけだからそういう倒れ方ができる。

緊急搬送されたベッドの上で眠るドンウン。隣には彼女のその後にとって最も重要な存在となる青年、チュ・ヨジュンが寝ている。彼はなぜか血まみれの状態。なぜ彼がそうなったのか、この映画は賢明なことに”説明”しない。

それは病院の院長でもある彼の父親が、助けた男にいきなり首を切り裂かれ絶命し、その現場に駆けつけ、父親に抱きついたから。彼の白衣についた血とは、父親の返り血だった。

ドンウンとヨジュン。2つのベッドが並んでいて、2人の手がだらりとベッドから垂れている。その指先が近づいて、ほとんど触れそうになっている。
これも言葉などによる説明ではなく、映画的手法で、2人の関係性を表現している。

2人の運命が近づいているが、2人は動きを奪われ、ベッドに寝ている。そのタイミングで、宿敵のヨンジンは最高の条件で結婚しようとしている。

<最高の復讐とは、幸福になること・・>

ここで思い出すのは、第1話で出てきた高校を中退した後に、いじめっ子5人が次のターゲットを得て、同じような仕打ちを続けている体育館にやってくるところ。

「最高の復讐とは、幸福になること」という言葉がある。常識的な助言をドンウンにするとしたら、そういう言葉になるだろう。復讐などはやめて云々と。

しかし彼女は復讐の計画を練り、必要なものを自分の努力と能力で手に入れていく中で、喜びや充実感も手にしていた。だから彼女はある意味、十分幸福でもあった。

その結果、自分が手にしたもの。これから実現していくものを推察した。

そしてこう思った。

「あなたたちは、自分たちが生まれ絵持ったもので楽しみ、優越感に浸り、さまざまなものに守られ、自由に生きているように見える。でもそれが最高? それが最強?
もし私があなたたちの場所に近づいたとしたら、その時には、どっちの力の方が強いかしら?」

ドンウンは、自分の力を自覚し、勝利の可能性に燃えた。それは”ある悪魔の覚醒”でもあった。
だからあの体育館にやってきたドンウンは、瞬きもせずに5人組を見据え、「自分の夢はヨンジンだ」と語った。
”お前たちの場所にたどり着いた時の私に、あなたたちは勝てるの?”

これがこのドラマの主題となる。
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