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2024年04月15日00:27

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宇和島紀行23 多賀神社 / 樺崎砲台跡

 3月22日金曜日は0830時頃に宇和島ターミナルホテルを出て西北へ向かい、須賀(スカ)川を渡って伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祭る多賀神社へ赴きました。
https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%9A%E8%B3%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@33.2287531,132.5591077,17z/data=!3m1!4b1!4m6!3m5!1s0x354f61cfed8715ed:0x9dbc0408b21b3c67!8m2!3d33.2287486!4d132.5616826!16s%2Fg%2F1tjz14_q?entry=ttu
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 西暦269年、神功(ジングウ)皇后が三韓征伐の帰路に住吉太神宮で「当国に太神降臨し給う宮処を教え給え」と祈り、海辺に茂る藤の木を本未打ち断って海中に投げ入れたところ、坂島の郷那多に流れ着いたため、住吉山に藤住吉太神宮を創建したのが始まりとされています。
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 元禄13(1700)年に藤住吉宮の境外摂社多賀社に横山家信仰の多賀神璽を預けて祭祀し、安永4(1775)年に藤江の現在地へ移転しましたが、その後、住吉山の藤住吉本宮は多賀神社に合併され、数多くの摂末社も廃滅・合併して、多賀と粟島の両神社となりました。
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 多賀神社には凸凹神堂(デコボコシンドウ)と称する性文化財資料館があります。
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 世界各国の性に関する資料が数万点も展示され、性宗教や民俗、風俗などの貴重な資料文献を見る事が出来ます。
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 18禁で、入館料は800円です。写真撮影には別途20000円が必要なため、撮影は諦めました。
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 一階は真面目な民俗資料が多かったですが、上階に行くと春画の類がならんでいました。
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 次に西方へ向かい、須賀川橋を渡りました。
 https://www.google.com/maps/@33.2277883,132.5583674,18z?entry=ttu
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 更に西進すると樺崎砲台跡〔宇和島市指定史跡〕です。
https://www.google.com/maps/place/%E6%A8%BA%E5%B4%8E%E7%A0%B2%E5%8F%B0%E8%B7%A1/@33.2272902,132.5532068,17z/data=!4m14!1m7!3m6!1s0x354f61cfed8715ed:0x9dbc0408b21b3c67!2z5aSa6LOA56We56S-!8m2!3d33.2287486!4d132.5616826!16s%2Fg%2F1tjz14_q!3m5!1s0x354f61d41662ef5d:0x72b91fb5fcc9e06b!8m2!3d33.2268554!4d132.5547833!16s%2Fg%2F11c7szjwfn?entry=ttu
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 19世紀前半、外国艦船が日本近海にも出没し始め、鎖国政策を久しく続けてきた幕府は沿岸諸藩にその防備を固めるよう命ずるに至りました。宇和島藩では、ペリー来航直前の嘉永3(1850)に年高野長英設計による御荘久良(ミショウヒサヨシ)砲台を完成させ、更に宇和島湾にも造営を計画していましたが、安政元(1854)年の大地震のによる民力の疲弊を考え、計画を一旦中止せざるを得なくなりました。
 ところが、二宮長兵衛在明なる篤士家の出資申し出があったため、宇和島藩は宇都宮九太夫綱敏と松田源五左衛門常愛を奉行として安政2(1855)年3月に宇和島湾防備のための西洋築造法による樺崎砲台築造に着手したのです。住吉山北側の玉ヶ月の山や遊子の海岸から石や土砂を運び、山を切り海を埋めて同年12月に砲台は完成、五門の砲が据えられました。
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 砲台跡の傍らに竣工を記念し、その経過を記して安政3(1856)年に建てられた碑石が今も残っており、碑文は藩校明倫館教授金子孝太郎の撰になります。
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 その後、元治元(1864)年に湾の向かい側の戎山にも砲台が築かれました。
 慶応2(1866)年に英国公使ハリー=パークス坐乗のプリンセスロイヤル号が宇和島へ来航した際に樺崎砲台が礼砲を撃った事が通訳官アーネスト=サトーの記録に見られますが、「実戦には役立つ物では無いらしい」とも記されています。
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 平成4(1992)年に砲台跡の整備が行われました。
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 濠の様に見えるのは海だった部分です。
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 陸側では土塁の上に石垣が設けられています。
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 陸側石垣です。
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 砲眼の陸側石垣です。
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 砲座があった地点です。
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 砲眼です。正面は海でした。
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 海だった場所です。
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 海側の石垣です。
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 海側の石垣と砲眼です。
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《続く》
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