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2024年02月10日21:07

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【映画】『夜明けのすべて』これだけは見るべし

『ケイコ 目を澄ませて』に続く三宅唱の新作ということで見に行ったのだが、予想を上回る素晴らしさ。観客に解釈を委ねる部分が多い『ケイコ〜』よりもはるかに分かりやすく、それでいて奥深さや世界観の広がりをまったく失っていない。ドラマとしてのストレートな感動では、こちらの方が上かもしれない。昨年の公開なら、年間ベストを争ったはずだ。

PMS=月経前症候群に苦しむ藤沢美紗(上白石萌音)とパニック障害に苦しむ山添孝俊(松村北斗)の交流を描く物語。そう聞くと恋愛もののように思われるだろうが、リアリズムの観点から言えば不自然なまでに男女の関係に発展しないのが、本作の大きなポイントだ。

本作の良さは、物語においても表現においても「余計なことをしない」という点にある。登場人物を独立した「個」として描き、ベタベタと他者の苦しみに踏み入ったり、恋愛という形で他者に依存したりしない。ただ、無理のない範囲で他人の痛みを理解し、共感し、助けられる部分で助け合おうとする。それでも最終的には、自分の人生は自分で選択せざるをえないことを理解していて、それぞれの人生を歩むことになる。

そんな関係性は、ある意味 幻想なのかもしれない。本当に苦しくなったとき、人は他者に依存せざるをえない(この作品でも、それが主人公に大きな変化を生む)。だが、そこまで行かない段階であれば、人はもっとお互いに依存せず、独立しながらも、互いを思いやる関係を作ることができるのではないか。この作品は、それを「幻想」ではなく「理想」として提示する。人は人の苦しみを真には理解できないし、代わってあげることもできない。そんな諦念に正面から向き合い、「それでもできることはあるよ」と語りかけてくる。その距離感、押しつけがましさのない世界観がたまらなく心地良い。

それは表現方法においても同じで、この作品は「何を描いているか」だけでなく、「何を描いていないか」が極めて重要だ。普通の脚本家なら確実に台詞を入れてくるであろう部分に台詞を入れない。代わりに表情や光だけで大切なことを物語る。
たとえば後半のあるシーンで、私が心の中で予想した「何だ、乗ってるじゃん」などという台詞は入らない。それは観客にはすでに分かっていることであり、あの最低限のショットと、美紗の表情だけで理解できるからだ。
ただしこのような映画話法では、観客は、通常よりも一歩深く作品の中に入っていく必要がある。長距離走で疲れない走り方のコツは、重心の移動だ。脚で走るのではなく重心を少しだけ前に出し、「体が倒れそうになるから脚を出す」感じで走ると、無駄な体力の消耗を抑えられる。この映画を見る行為は、それに似ている。明確には描かれなかった空白を埋めようと、心の重心がわずかに前に移動し、そのまま前にどんどん進んでいく。だから見るからにドラマチックなことは起きないし、そのような描き方は一切しないにも関わらず、心は片時も映画から離れない。三宅唱は、そんな「心の重心の移動」のさせ方が桁外れに上手い。
同じ脚本を他の人が監督すれば、もっとドラマチックで爆発力のある感動ドラマに仕上げるだろう。しかし三宅は『ケイコ〜』と同様、基礎体温の低いフラットな描き方をする。それによってこの物語は、一瞬の盛り上がりとカタルシスを放棄すると同時に、映画という枠を超えた「人生」へと広がっていく。

ウィキペディアを見て知ったのだが、原作では2人の働く会社は〈建築資材や金物をホームセンターに卸す会社である「栗田金属」〉らしい。それが映画では、子ども向け光学機器の開発・販売や移動プラネタリウムの運営を行う「栗田科学」になっている。この改変が持つ大きな意味は、クライマックスの長台詞によって明らかになるので、実際に映画を見て体験してほしい(この台詞がそもそも誰の言葉なのかを忘れないように)。1つだけ言いたいのは、この映画が「夜の闇」に「夜明けの光」と同等の価値を見出しているということ。それこそが、この映画の最も感動的で奥深い点だ

そのような物語と表現方法によって、本作は、PMS/パニック障害という固有の問題を超え、人生に対する生きづらさを抱え、孤独感や閉塞感に苦しむ全ての人々に向けられた応援歌となっている。残酷だが、優しく、そして物静かな、「子守唄のような応援歌」だ。


技術的な面で特に注目したいのは、16mmフィルムでの撮影から生まれる人間的な肌触り、一言で表現するなら「親密さ」だ。これに関しては間違い無く『ケイコ〜』以上の効果を発揮している。
上白石萌音も松村北斗もケチのつけようがない演技。そして光石研がこれまでのキャリアでもベストに入る名助演。私が大ファンの芋生悠は最近痩せたのか? 最初のうち彼女だと分からなかいほど、いつもと雰囲気が変わっていたが、やはり素晴らしい。

『きみの鳥はうたえる』も良かったが、『ケイコ 目を澄ませて』『夜明けのすべて』という2連続大ホームランで、一挙に日本映画のフロントランナーに躍り出た感のある三宅唱。濱口竜介や今泉力哉と共に、日本の実写映画を牽引する才能として、今後の活躍が楽しみだ。


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