うちの妻が、近年、”ゾンビ”を観ていた。
で、ラストシーンが終わって、俳優やらスタッフの名前が出てくるシーンで
ゾンビに再び占領されてしまったショッピングモールが映ると、そのモール内にいつもだとかかってそうな明るい音楽が延々と鳴り響く、。
このシーンを、妻曰く
「今までのはぜんぶ嘘でした、
って意味じゃない?」という。
あー、そういう解釈もあるかもな、と。
で、妻がハマってるインド映画をチラ見してると
必ずと言っていいほど、ものすごい舞踏シーンが後半にある。
その規模も凄いのだが、そこまで至る展開はけっこう厳しく、
悲惨な殺人シーンや戦争シーンがある。そういうリアルなシーンの後に
とんでも楽しい歌と踊りが急に始まる、、
それがインド映画のお決まりで、醍醐味なのかもしれんが、
慣れてないと、何だこれ映画なのである、、
が、
その辺を観ていると、
北野武版の座頭市のラストを思い出す、
合間合間に喜劇的なシーンもあるが、座頭市なので殺戮シーンがあって
そんな映画なのに、ラストは、若者たちのタップダンス的な群舞で終わるのだ。
そこがさすがストリップ劇場で修業した北野武らしい、と思うのだ、
娯楽はこうしましょうな、これが映画なんだよ、って。
昔の邦画は、けっこう歌やダンスが
挿入されていて、
黒澤明の一番いい時代の映画でも、ちらちら出てくる。
よいどれ天使の、笠置シズ子のジャングルブギ、
用心棒の女郎屋の宴会の踊り、、
隠し砦の三悪人での、森の中の祭りでの踊り、
それが物語で重要であるなしにかかわらず、
ミュージカルでもない題材に、それを入れることが当たり前だったような、
当時の最新映画興行でのサービスとも言える。
七人の侍の最後に出てくる
昔々、田楽、と言われてた踊りは、
最初の頃はその村で一番不作だった田んぼの中に人がいっぱい入って、来年はよく米が実りますようにと神に祈りながら踊り騒ぐ、
それが足で踏み荒らし、土の中に空気が入って耕すことで来年の豊作につながっていたという話がある。
それが独立し、神への踊りとなり、
春祭りと秋祭りに変化していく、
神社の催しだけで行われ、
祭りの踊りはその“ハレの日”だけ、
か後の盆踊り、で
能楽や狂言や、出雲阿国が始めたと言う歌舞伎の元祖も踊りが主だったかもしれない、
そして中世後に舞台興行で儲ける形式になって
それを一般人が出られるのも観られるのも一年に何回体験できるか、
で、レコードが発明され、音楽家や歌手がいなくても個人がそれを家で楽しめるようになり、映画館で、のそれの後、
テレビが出てきて、ドラマ以外で歌番組、
そのへんが、ひとつひとつの番組で、
分けられるようになってる今で、
全部一度に見られるインド映画は令和になって新鮮に映ったのかもしれない。
昔の東映時代劇でも、美空ひばりが歌い踊り、の作品や、
一曲流行った歌謡曲がそのままテーマになって映画化されてた昭和の時代の
世界がインドはまだ続いてるのだろうと思う。
冬のソナタ、は昔の日活青春映画のくさい雰囲気を踏襲してたり、
スターウォーズに、戦争映画、西部劇、日本のチャンバラ映画、
海戦、海賊映画などの良いシーンの寄せ集め、なのも
そういう昔のをきちんと監督が観ていて脚本を書いている。
SWの三作目の、ジェダイの復讐のラストシーンは
惑星の原住民のイウォーク(子熊)族たちの踊りで終わるのである。
さあ、これから日本映画は、どんな物を作っていくのか、世界で一本二本受けたJホラー続ける時代でもないだろ、
まあホラーやサスペンス映画も映画が始まる以前から古代神話から続いてるジャンルだけど、
何か復活させるのなら、
よその国にない、歌舞伎の踊りや立ち回りを取り入れた
明るい時代劇映画、が良いと思うのだが。
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