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2023年07月20日06:58

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『お坊ちゃまにも苦労はある』第2話

『お坊ちゃまにも苦労はある』第2話

「おい、そっちのスコッチを取ってくれよ」
「キューバ産の葉巻があるぞ?やるか?」
 煙草の煙がもうもうと充満したプレイルームで、何人かの青年たちがビリヤードを楽しんでいた。他にもポーカーをする者たちや、それらを眺めながらだらしない格好でソファで酒を飲んでいる男や、彼にしなだれかかっている派手な身なりの女もいた。
 そこに、バン!と大きな音とともにプレイルームの扉が開いた。カノンとソレントが、「殴り込み」というのがふさわしいような形相で室内に入って来たのである。
 パラノス邸のプレイルームはビリヤード台の他に、ダーツやルーレット台、ポーカーやブラックジャックのためのテーブルもあり、どこかのカジノの一室かと見まがうほどだった。そこでトマスとその悪友たちは盛大に喫煙をし、飲酒をし、女も侍らせて…と、夜の時間を享楽的な方法で潰していた。
「ジュリアンは?」
「そっちで寝てるよ」
 カノンに尋ねられたトマスがビリヤードのキューで指し示す。キューの先ではジュリアンがソファの一つに横たわっていた。
「おい、ジュリアン」
 ソファに駆け寄ったカノンが寝ているジュリアンの頬を軽く叩いた。
「あ〜…カノン…。おかえりなさ〜い」
 目を覚ましたジュリアンがヘラヘラとカノンに笑いかける。まだ未成年のジュリアンから、するはずのないアルコールの匂いがした。
「何を飲ませた?」
 カノンが険しい顔でトマスとその仲間たちに問う。
「モスコミュールを少々。ウォッカは少なめにしたんだけどな〜」
「思ったよりも弱かったな。あっさりと潰れちまった」
「もしかして、酒は初めてか?」
「かもな!」
 悪気なく笑っているトマスと彼の悪友たちに、カノンはかっと目を見開いて大声で怒鳴った。
「未成年に酒を飲ませるな!この馬鹿息子どもが!」
 頭の弱い馬鹿息子たちでも思わず肩をすくめるほどの迫力と怒気を発して、カノンはすぐさまジュリアンを横抱きにしてプレイルームを出ていった。
「ソレント、連中を締めとけ」
 ソレントの横を通り過ぎる際に、カノンがそう言い置く。はい、と、ソレントは短く返答した。
「大げさな奴だなぁ〜」
「今どき酒くらい、どうってことないのにな」
 カノンがジュリアンを連れて行くと、馬鹿息子たちは無責任に放言して、笑いあった。そして中断された各々の遊びを再開しようとした時、ソレントが彼らに割って入った。
「はいはい、皆様。こちらにご注目〜」
 空のグラスをマドラーで叩いて、ソレントがかんかんと高い音を出す。その音に馬鹿息子一同がソレントに視線を向ける。そこでソレントは大皿に盛ってあったオレンジを一つ、手にした。
 そしてソレントは右手に握ったオレンジを、彼らの前でぐしゃっと一気に握り潰してみせた。
「私、こう見えても結構鍛えてるんです」
 オレンジを潰した右手の拳から果汁を垂れ流しつつ、にこやかな笑顔とともにソレントが一同に告げる。
「次にジュリアン様にこんな真似をしたら、今度はあなたたちの頭がこうなると思ってくださいね?」
 画聖ラファエルの描く聖母マリアもかくやというほどの優雅で慈悲深い微笑みとともに、ソレントが目の前の面々に宣言する。しかし彼の目は全く笑っていなかった。馬鹿息子一同もさすがにソレントの怒りと脅しを理解して、青ざめるとともに沈黙したのだった。
 
 カノンに横抱きにされたジュリアンは最初は陽気に笑っていたが、やがて高揚期が過ぎると、慣れないアルコールに吐き気を訴え始めた。飲酒量は少なかったが、気分を悪くして吐きそうなジュリアンをすぐに車で返させるわけにもいかず、やむなくカノンはパラノス邸の客用寝室を借りて、寝台にジュリアンを寝させて、回復するまで休息させることにした。
「カノン、ジュリアン様は?」
 馬鹿息子一同を締め終わったソレントが客室にやって来て、カノンにジュリアンの様子を聞いた。背広を脱いでシャツ一枚の軽装になったカノンが、ジュリアンを介抱していた。
「とりあえず胃の中のものは全部吐かせて、横になってもらってる。酒だけならともかく、ドラッグでも混ぜられていたらシャレにならん」
 カノンが何を想定していたかを聞き、ソレントの顔から表情が消えた。
「……やっぱりあいつら、もう一度締めてきます」
 カノンの言葉にくるっと向きを変えてプレイルームに戻ろうとした真顔のソレントを、カノンが引き止める。
「いい。あまりことを荒げるな。とにかくジュリアンの気分が回復したらすぐにソロ邸に帰るぞ」
 その時、客室の扉がノックされた。ジュリアンの看護をカノンに任せたソレントが来客の対応に出る。だがすぐに困った顔でソレントはカノンの元に戻って来た。
「どうした?」
「マリア嬢ですよ。ジュリアン様の容体はどうだ、自分が看護する、様子を見たいから室内に入れろと、しつこくて…」
 女性に手荒なこともできず、うんざりとした顔でソレントが状況を説明した。カノンはソレントと交代してマリア嬢の対応に当たった。
「カノンさん、ジュリアンはどうなの?大丈夫?」
 ソレントの代わりに扉の前に出てきたカノンに、いかにも親切そうにマリアが尋ねる。だが弱っているジュリアンへの接近を目論んでいる彼女の下心は、カノンにもソレントにも見え見えだった。
「すみません。ジュリアン様はまだ具合が悪くて、起きられる状態ではありません」
「ね、お二人もお疲れでしょ?私が看病を交代するから…」
 美青年相手に愛想よく話すマリアの額に、カノンは右の人差し指をとんと置いた。
「…そ、そうね。せっかく休んでいるのに、邪魔をしたら悪いわよね」
 途端に考えを変えたマリアが部屋から離れていく。マリア嬢が諦めるまで説得するより、幻朧拳の応用でさっくりと思考操作をして彼女にお引き取りいただいたカノンであった。
「まったく、この屋敷はとんでもない魑魅魍魎の巣窟だな」
 早々にマリア嬢を追い返したカノンがうんざりした顔でジュリアンの元に戻ってくる。一連の流れを改めて振り返ると、警備員やマリア嬢がカノンやソレントにあれこれを声を掛けてジュリアンから引き離したあたりから、すでにパラノス家の面々の計画通りであったらしい。とにかく手段は問わないから、ジュリアンの弱みを捏造してでも握って、彼を身内に取り込んでしまえ、という考えのようだ。
「…すみません、カノン、ソレント、迷惑を…」
 寝台に横たわったままのジュリアンがぼそっと呟く。
「気にするな」
「二人がいて、良かったです…。これで朝になったら横にマリアが寝ていて、既成事実を作られていた日には、目も当てられ…うっ!」
 と言いかけたところで、ジュリアンはがばっと起きて、横に用意してあった洗面器に嘔吐した。
「うえ〜…。まだ気分悪い…」
「…大丈夫か?」
 カノンがジュリアンの容体を問い、水を入れたコップを差し出す。
「なんとか…。多分、アルコールだけでドラッグは入れられてないと思うのですけど…」
 一通り吐き終わったジュリアンは自分の状態をそう分析すると、カノンの差し出した水で口をすすいで再び寝台に横たわった。
「ジュリアン…お前、未成年のくせに修羅場を経験し過ぎだ」
 と呆れたように評したカノンだったが、彼もまた未成年のころから兄のサガの目を盗んでアテネ市に繰り出しては、酒に、煙草に、女に、賭博に…と、散々に悪行を働いた過去があり、他人のことをとやかく言えるような境遇ではなかった。ドラッグだけは未経験だが、これは単に自分の肉体以外に頼れるものがない状態で、その唯一の財産まで薬物でボロボロになったら困る、と判断したからに過ぎない。
 しかしそういう過酷な少年時代を送ったカノンであっても、ジュリアンがこれまで味わったらしい「経験」を想像すると、思わず同情をしてしまうのであった。富豪の跡継ぎ息子として、ある意味ではカノンとは真反対の恵まれた境遇にあったジュリアンだが、金持ちのボンボンにはボンボンなりの苦労があったとみえる。夜の明かりに蛾が群がるように、下心のある連中がいやおうなしにジュリアンの周りに集まってくるのだろう。
「あんな連中とは縁を切ってしまえ…と言いたいところだが、仕事の付き合いがあるとなるとそうもいかんか。まあ、この邸宅での招待には二度と応じないほうがいいな」
「そうします…」
 カノンがコップに新しく水を入れて差し出すと、ジュリアンはそれを一口飲んだ。こういう時は水を飲んで、体内のアルコールをさっさと解毒するに限る。
 こうしてジュリアンの気分が回復するまで、カノンとソレントは彼にこれ以上余計な危害が加えられないよう、二人でぴったりとくっついて彼を護衛した。そしてジュリアンの気分が軽快するや否や、夜中であるにも関わらずさっさと車に乗せてパラノス邸を辞したのだった。

 なおその後、パラノス家の面々の間では「ソレントがフルート奏者というのは仮の姿で、実はジュリアンの警護のために幼い頃から選別されて特殊訓練を受けた人間だ」とか「あのカノンという男はどこかの特殊部隊の出身で、実戦や殺人の経験もあるらしい」とか、根も葉もない噂話に花が咲いたらしいのだが、それはカノンやソレントの知ったことではない。

<FIN>

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