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2023年06月29日01:51

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旬が昭和だった芝居、さて令和では…総括

写真は順に
*夢のれんプロデュースvol.5「とりあえず、ボレロ」チラシ両面

作・清水邦夫 演出・大谷恭代

清水邦夫の作品は間違いなく昭和の限られた時期にのみマッチングするのである。

かつて私も清水邦夫率いる木冬舎」の公演を今は無き「渋谷ジャンジャン」で観劇し、
その時は、まるで時代の波に飲み込まれるように夢中になって観た。
自分より少し上の世代に、私は当時憧れを抱いていたことが大きい。
学生運動の延長線上、満たされなかった政治信条、やりきれなさのエネルギーの捌け口をどこに、誰に、何に転化するのか。
公演毎のその対象が、あの当時は鮮やかでそれが求心力になって人気があったのだと思う。

今はどうか。
全く違う時代感、環境下で育った、あるいは年齢を重ねた人間が果たして、かの時代の作品に共感するだろうか。

否であろう。

どうして今、清水邦夫の作品を上演したがるのか、私にはわからない。

そして今日観劇して改めて感じたのは、男女の恋愛感の差異だった。
昭和の男が描いたロマンティシズムに溢れた男女の恋愛観に私は馴染めなかった。
あくまでも男側からのロマンティシズム、それへの違和感がハンパなかった。

作品では、演劇活動していた若かりし時代に、2人の女に愛された男が居たという設定。
長い時を経て、男の頭脳は一部が壊れ、正常な判断力を持たない状態であるにもかかわらず、過去の思い出と戦いながら尚もかつて愛した男のために何かを為さんとする、女たちの心情溢れる物語。
たまたま男と女だったが、そこには同じ時代を生き抜いた「戦友」だという意識が強く描かれては居たのだが…。
この時代、あり得ないと思うし、一切の共感を得なかった。

女は、いや人間はもっと打算的な生き物だ。
令和に生きる人間は、少なくとも私を含めて周りの人達はもっとドライに生きている。
私個人は、一度別れた男どもに未練のかけらも持たないタイプだ。
たとえ「戦友」であったとしても。
あの時代の演劇人の背景にあった強い政治意識を現代の若者たちは理解できないだろう。

清水邦夫の作品が醸し出す時代感と男女間のファンタジーに、私は到底付き合いきれないと思った夜。

これまで清水邦夫の作品を観る度に感じて来た違和感をようやくはっきり確認出来た気がする。
戦友意識、それだ。
安保闘争のための学生運動で培った彼らの連帯感へのオマージュなんだな、きっと。
この作品では男1人と女2人が主軸だが、男ばかりでも女ばかりでも成立する。
それはあの時代、連帯した者、時代への郷愁を描いているのだ。

そう、やっぱり学生運動に無縁で生きてきた私には共感できないわけである。
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