私は “キリスト教” という言葉が苦手だ。
英語のReligionは “再び神とつながる” という意味であり、日本の宗教は英語のsect(宗派)に近い。
神は唯一であり、それは太陽や月と同じく人とは無関係に存在するものだ。
“キリスト教” と言うと、まるでキリストという人が考えついた教えみたいな印象になる。
そうではなく “現実に存在する神とどのようにつながるか?” その方法を説くのが、Religionであり、その一つがキリスト教である。
だから根っからのキリスト教徒は “キリスト教” とは言わない。ただ “福音” と言う。
神からもたらされた “よい知らせ” だからだ。
人は神と断絶したため悪魔の仲間になってしまった。
悪魔とその仲間はいずれ地獄に落とされる。
神はそれを憐れみ、人に、もう一度、神の仲間に加わる道を与えた。
それがイエスの十字架によるあがないであり、これを受け入れる人は、悪魔の仲間から神の仲間へと移り、来るべき審判の日、地獄に落とされずにすむ。
これが福音なのだが、聖書を読んだことがない人は突然の脅迫に驚く。
聖書の内容を信じているからこその福音であり、聖書を創作本と考える人には通用しない。
何を信じるかはその人の勝手。私がとやかく言えることではない。
まず、聖書を読んで欲しい。
誰もが死後の世界に関心がある。
神道、仏教、スピリチュアルなど、いろいろな救いがあり、それらは誰でも天国に行けることをうたい文句にしている。
ただ、そこには慰めはあっても、なぜそうなるかの理屈がない。
そんなに都合よく天国に行けるものだろうか?
福音はその答えを用意している。
昔の人にとって神との関係はとても大事なものだった。
でも、今の人は、神との関係に思い巡らすことはない。
宗教といえば、ただ金儲け。人の考えたウソ。
そんな世界にうんざりし、考えることをやめてしまったのだろう。
また、日々の生活に忙しく、なかなか考える暇がない。
でも、この問題はなおざりにはできない。
“福音のない人生はむなしい”
それは人間の根源である神から離れ、自分がどこから来てどこへ行くのか知らない人生だからである。
また、天国か地獄かを決めるのは神であり、人が「あなたはイエスを受け入れないから地獄行きだ」と言うことはできない。
それはその人を裁く行為であり、裁くのは神であり人ではない。
私にはイエスの十字架によるあがないが重要であり、私は “それが天国への道だ” と信じている。他の人のことはその人が考えるべきことだろう。
天国行きか地獄行きかは神の領域であり、人が答えられることではない。
ただ “福音とはこういうものだ” ということは、機会があれば伝えていきたい。
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