mixiユーザー(id:250900)

2023年01月30日00:00

463 view

足利紀行28 徳蔵寺 / 耳だれ地蔵

 5日木曜日は正善寺へ参拝後、西進して天台宗乾坤山(ケンコンサン)徳蔵寺を訪れました。
https://www.google.com/maps/place/%E5%BE%B3%E8%94%B5%E5%AF%BA/@36.316629,139.4744811,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601f23978eea4af3:0x200df41a6ebb93c6!8m2!3d36.316567!4d139.4766259
フォト

 当寺は、平安時代末期に龍海が民衆教化のために草庵を結んだのが始まりだとされています。その後、衰微していましたが、当寺周辺は宝永2(1705)年の足利藩成立を機に盛んとなった織物産業の渡良瀬川(ワタラセガワ)水運の拠点である北猿田河岸(キタエンダガシ)となったため、五軒の船問屋が建ち並んで賑わう事となりました。このため、宝暦年間(1751~64)に至って、船問屋達の支援で尊雄が寺を中興し、船問屋達が檀家に名を連ねて反映する事となったのです。
フォト

 昭和22(1947)年のカスリーン台風では渡良瀬川が氾濫、当地では300人を超える死者が出て、多くの犠牲者が当寺へ運ばれて来ています。
フォト

 昭和51(1976)年から境内に卓球台を置いて交流の場とする試みが続いているため、ピンポン寺の異名もあります。
フォト

 では、境内を巡ってみましょう。
フォト

 石庭と山門です。
フォト

 左から千庚申堂・愛染堂・本堂です。
フォト

 愛染明王(アイゼンミョウオウ)像〔足利市指定文化財〕です。
フォト

 寛政9(1797)年に奉納された像高40.0cmの立像で、厨子〔足利市指定文化財〕に納まり、愛染堂内に安置されています。
 三つの目と六本の腕を持つ三眼六臂(サンゲンロッピ)の忿怒形で、頭には獅子の冠を戴き、全身は赤く彩られ、それぞれの手には鈴・金剛杵(コンゴウショ)・弓矢・蓮珠を持っています。光背には左右から噴きあがる迦楼羅焔光(カルラエンコウ)が描かれており、台座には両手を挙げた天部四体を配します。
フォト

 千庚申塔(センコウシントウ)〔足利市指定文化財〕です。
フォト

 寛政12(1800)に造立された高さ262.0cmの石塔で、上層部から順に五層によって構成されています。最も上の層には笠状の雲台に乗った青面金剛(ショウメンコンゴウ)が浮き彫りされ、その両脇に二童子と日・月や鬼衆を配しています。中心の本体部の棹に千庚申と書かれた千個の「庚申」の文字がびっしりと書かれています。下層部は三猿や鶏の浮き彫りと銘文が刻まれています。庚申塔は庚申(カノエサル)の日にお祭りを行った事を記念して建てられた物で、江戸時代には民間信仰として普及しました。
フォト

 かな地蔵尊〔足利市指定文化財〕です。
フォト

 嘉慶2(1388)年に没した天開和尚の為に建てられた供養塔で、高さ90.0cm・幅45.0〜50.0cm・厚さ30.0cmの安山岩製です。その後、天開の徳を慕う人々によって「医王地蔵の碑」として信仰を集めて来ました。
 隅丸長方形状のやや扁平な石の前面と側面を平らにし、前面中央上部には薬研彫りの種字(シュジ)で「イ」、下の方には「天開和尚嘉慶二戊辰三月十七日」と彫られています。刻まれた梵字がイロハの「イ」字である事に由来して「かな地蔵」と呼ばれています。中世の墓石としては異色の物です。
フォト

 羅漢堂〔栃木県指定文化財〕です。
フォト

 文化10(1813)年に建てられた異色ある宝形造(ホウギョウヅクリ)の漆喰塗り土蔵建築です。
フォト

 羅漢堂内部には木造五百羅漢像〔栃木県指定文化財〕があり、500円で拝観可能です。
フォト

 ピラミッド状に高く造られた台の四面それぞれに10段を設け、この段に20体程度の像高 28.0cmの羅漢小座像を並べています。
フォト

 各段の隅の部分には像高40.0cmの十大羅漢立像を置き、中央壇の上には阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩(セイシボサツ)の阿弥陀三尊が安置されています。
フォト

 合計で510体の羅漢像に阿弥陀三尊像を加えると像の総数は513体となります。
フォト

 像は全て一木造(イチボクヅクリ)で、朱塗りの下地の上に金泥・金粉で装飾がなされており、眼は彫眼(チョウガン)です。
フォト

 羅漢堂建立(コンリュウ)と同時期に廻船問屋萬屋の長吉右ヱ門が奉納した物とされています。
フォト

 羅漢とは、サンスクリット語のアルハットの書訳「阿羅漢」の略であり、ガウタマ=シッダールタ死去直後に第一回仏典結集(ケツジュウ)を行った十大弟子と500人の弟子が一般に羅漢と呼ばれています。
フォト

 徳蔵寺を出た後、渡良瀬川に架かる福猿橋を渡りました。
フォト

 いい天気で長閑(ノドカ)な光景が広がります。
フォト

 県道40号線に出ると、耳だれ地蔵堂があります。
https://www.google.com/maps/place/%E8%80%B3%E5%9E%82%E3%82%8C%E5%9C%B0%E8%94%B5%E5%A0%82/@36.3082882,139.4773337,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601f239c8f07abb5:0xd955315a27381fcd!8m2!3d36.3082695!4d139.4815519
フォト

 堂内には、耳だれ地蔵〔足利市指定文化財〕と呼ばれる像高176.0cmの石造地蔵菩薩立像(セキゾウヂゾウボサツリュウゾウ)があります。
フォト

 正徳4(1714)年の造立で、右手に錫杖(シャクジョウ)、左手には宝珠を持ち、蓮華座の上に立っています。端正な顔立ちや、流れるような衣文(エモン)の線が特徴的で、全体的に優れた造形です。錫杖の柄には五輪塔が刻まれています。
 「耳だれ地蔵」という名前が示すように、昔から耳の病気に霊験があると伝えられており、病気が治ると、自分の身長と同じ長さの竹串いっぱいに団子を刺した「背丈だんご」をお礼としてお供えする事になっていたそうです。また、団子の代わりに、お地蔵様の姿を描いた絵馬を奉納する人もいたそうです。
フォト

《続く》
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年01月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031