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2023年01月22日08:28

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足利紀行20 美人弁天 / 法楽寺

 3日火曜日は心通院へ参拝後、正南へ向かい、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祭る明石弁天厳島(アカシベンテンイツクシマ)神社を訪れました。ここは美人弁天の異称で知られる神社です。
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 足利には「目も覚めるように美しい明石姫」の伝説があります。天喜4(1056)年に源義家が父頼義と共に前九年の役へ赴く途中、足利へ立ち寄った際、渡良瀬(ワタラセ)川の河原で目を傷め、目が見えなくなってしまいました。その際、足利城主の藤姓足利成行(アシカガシゲユキ)の娘である明石姫が必死に看病し、薬師堂に百度参りをして回復を祈ったため、義家の目は回復し、二人は愛し合うようになりました。やがて義家が陸奥国へ出陣すると、明石姫は無事と戦勝を薬師堂に祈り続け、衰弱した姫が遂に亡くなったその日に、源氏軍は最終勝利を収めたとの話です。
 当地には清泉湧く池があった事から寛政5(1793)年に厳島神社がが勧請されましたが、やがて明石姫伝説ゆかりの地と見做される様になり、美人弁天の異称が生まれました。
 明治43(1910)年に天満宮を合祀し、昭和11(1936)年には境内地を拡張して本殿上屋等が新築されました。昭和20年8月14日深夜の空襲で社務所が焼失しましたが、昭和30(1955)年に再建が実現しました。
 現在、当社では、ユニークな「美人証明」を発行しており、足利の観光名所の一つとなっています。足利七福神巡りの弁財天担当でもあります。
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 拝殿です。
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 本殿です。
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 六角宮です。
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 六角宮には祭神である市杵島姫命の分身として金色の石像が祭られており、美人弁天と呼ばれています。毎月第一・第三日曜日が開帳日です。
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 次に、美人弁天から南下して曹洞宗正義山法楽寺へ向かいました。
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 足利義氏が出家後の建長元(1249)年に夢で「お告げ」を受け、池から阿弥陀如来像を引き上げて、これを本尊とする当寺を創建したと伝えられています。義氏は嫡男泰氏に家督を譲った後、当寺で隠棲し、ここに葬られました。寺号は義氏の法名「法楽寺殿正義大禅門」に因みます。
 江戸時代には足利藩主戸田家の菩提寺にもなりましたが、万延元(1860)年の火災によって大門以外の建物を全て焼失してしまい、明治元(1868)年に再興されました。
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 昭和58(1983)年には、京都の銀閣寺を模した新本堂が建てられたため「関東の銀閣寺」と称しています。現在の本尊は釈迦如来です。
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 足利義氏墓所〔足利市指定史跡〕です。
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 高さ1.06mの五輪塔ですが、上部には宝篋印塔(ホウキョウイントウ)の笠と相輪が乗る不自然な形状になっています。
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 法楽寺墓地には、鎌倉〜室町時代の宝篋印塔・五輪塔が数多く並んでいます。
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 この後、昼食場所を探しながら足利駅へ向かいましたが、適当な店が無かったので、鑁阿寺(バンナジ)境内の大日茶屋で軽く食べる事にしました。
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 足利名物の「ポテト入り焼きそば400円也」と「足利シュウマイ160円也」を食べました。足利シュウマイは肉が入っていないのが特徴です。
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《続く》
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