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2023年01月11日00:00

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足利紀行9 足利陣屋跡 / 法玄寺

 2日月曜日は鑁阿寺(バンナジ)へ参拝後、江戸時代の足利藩陣屋の遺構巡りをしました。足利藩は、宝永2(1705)年に将軍世子徳川家宣の御側役を務めていた戸田忠時が甲斐国内8000石から3000石加増の上で下野国足利郡・簗田郡・都賀(ツガ)郡・河内(カワチ)郡11787石を領する大名に列して成立しました。足利藩は鑁阿寺近くの雪輪小路に陣屋を構えますが、所領の6割は足利郡・簗田郡以外にあったため、130余人の藩士のうち陣屋周辺に居住したのは3割程度に留まりました。
 足利陣屋の大門は民家へ移築されて残っています。
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 足利陣屋の数少ない遺構です。
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 ここから西進すると足利市立けやき小学校があります。
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 ここの校庭には巨大なケヤキ〔足利市指定天然記念物〕が聳えます。
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 欅(Zelkova serrata)は被子植物門双子葉植物綱バラ目ニレ科の落葉高木で、本州・四国・九州・台湾・朝鮮半島・中国大陸南部に分布し、特に関東平野で多く見られるため、日本を代表する広葉樹となっています。
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 けやき小学校校庭南西寄りにある個体は、高さ約20.0m・目通り4.45m・東西枝張り32.0m・南北枝張り31.2mに達する巨木です。
 地上2.6m地点で七本の大枝に分かれ、つづけて20本以上に枝分かれして広がっている様に見えるため、幹囲(ミキガコイ)に比べて樹高は余り高くありません。
 樹齢は300年以上と推定されるため、宝永2(1705)年の足利藩成立の頃に植樹された可能性があります。
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 けやき小学校の西隣が足利市役所です。
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 市役所から南下すると、稲倉魂命(ウカノミタマノミコト)を祭る栄富(エイトミ)稲荷神社があります。足利陣屋内に設けられていた神社で、大正15(1926)年に天神社を合祀したため、菅原道真も祭られています。
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 栄富稲荷神社の南方には、足利藩主が用いていた陣屋の井戸が残ります。
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 井戸の南方に足利陣屋跡の説明番があります。
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 陣屋跡から西進すると、織姫山の南麓に浄土宗帝釈山智願院法玄寺があります。
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 法玄寺は、怪死した足利義兼の妻北條時子(智願院殿)の菩提を弔うため、義兼の後妻の子である足利義純(法玄大禅定門)が、鎌倉時代初期に真言宗寺院として創建したと伝えられます。戦国時代に荒廃したものの、足利の代官となった小林十郎左衛門が慶長11(1606)年に再興、その際に浄土宗へ転向しました。慶安元(1648)年には寺領15石3斗の御朱印状を江戸幕府より受領しています。
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 昭和6(1931)年に発見された伝北条時子姫五輪塔〔足利市指定文化財〕です。
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 鎌倉時代製の五輪塔も台石も共に凝灰岩(ギョウカイガン)製ですが、台石は多少後年の物と考えられています。
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 総高200.0cmで、最上部の空風輪(クウフウリン)は一つの石から出来ており、火・水・地輪の幅はほぼ等しく、鎌倉時代の様式を示しています。
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 明記はされていませんが、形状や寺伝からして、時子の墓碑と推定されています。
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《続く》
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