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2022年12月19日21:00

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「晦日」と「賀状」について

今日は、「晦日」と「賀状」について。

「大晦日」と「年賀状」であれば、誰もが分かる言葉なわけですが、あえて今日は「晦日」と「賀状」についてを書いてみることにします。

「十日」、「廿日(はつか)」の区分けがあって、「晦日(三十日)(みそか)」という区分けがあるわけなのですが。

さかのぼること、「旧暦」の時代。

これは、明治5年。1872年まで。実際に使われていた、太陰太陽暦(天保暦)のことを指します。

現在の太陽暦の「月」の日数は「31日」、「30日」、「28日」または「29日」の4つですが、この「太陰太陽暦」では月の満ち欠けに基づく「30日」と「29日」の2つであり、「30日」を「大の月」、「29日」を「小の月」としていました。

「太陰暦」は、空の月の欠けているのが満ちそして再び欠けるまでを「一か月」とし、それを12回繰り返すことで12ヶ月すなわち「一年」としていました。

しかしこの月の満ち欠け(平均朔望月=約29.530 589日)による12ヶ月は約354.3671日であり、太陽暦の一年(約365.2422日)とくらべて約11日ほど短いので、この太陰暦をこのまま使い続けると暦と実際の季節が大幅にずれてしまいます。

このずれは11×3 = 33日つまり3年間で1か月分ほどになります。

そこで「太陰太陽暦」ではこの太陰暦の12ヶ月に、約3年に一度、1ヶ月を加え13ヶ月とし、季節とのずれをなるべく少なくする調整をします。

この挿入された月を「閏月」というわけなんです。

現代には馴染みのなくなった「閏月」のお話しでした。

そして、「晦日」です。

「晦日」とは、月の最後の日のことで、 読みは、「みそか」「つごもり」「かいじつ」などがあります。

「みそか」は、本来、月の30番目の日(三十日)の意味ですが、実際の日付に関係なく、月の最終日を意味するため、31日まである月は30日ではなく31日を「みそか」と呼んでいます。

そして、「大晦日」とは、もちろん12月31日のことで、一年の最後の月の最終日であることから、「大」を冠して、「大晦日」となりました。

次に、「賀状」です。

こちらも、あえて馴染みのない言葉から持ってきましたが。

辞書的な意味合いとしては、祝いの手紙。祝賀の書状。その中で、特に、年賀状のことをいうようになりました。「賀書」という言い方もします。

「年賀状」の歴史としては、自分の言葉で書こうとも思ったのですが…

wikiでの説明が的確だと思いましたため、以下、タダっとコピペします(;´∀`)

かなりの長文になりますので、お時間に余裕のあります時にでも(^o^;)

↓ココから。
日本では、起源ははっきりとはしないが、奈良時代から新年の年始回りという年始の挨拶をする行事があった。平安時代には貴族・公家にもその風習が広まって、挨拶が直接行えないような遠方などの人への年始回りに代わるものとして、文書による年始挨拶が行われるようになった。

近世には武家社会において文書による年始挨拶が一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始挨拶の文書が運ばれるようになった。

明治維新後の1871年、郵便制度が確立したが年賀状は書状で送るところがほとんどで、数は決して多くはなかった。1873年に郵便はがきを発行するようになると、年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。

郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年に年始の集配度数を減らす対策が講じられた。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。

また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。

そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった。年末の一定時期、具体的には12月20から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製ハガキの使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった。

なお年賀状は本来、元日に書いて投函するのであるがこの特別取扱をきっかけに年末に投函し元日に配達するようになった。また、当時はある程度の枚数を束ねて札をつけ、郵便局に持ち込むことが原則であったが、1907年から葉書の表に「年賀」であることを表記すれば枚数にかかわらず郵便ポストへの投函も可能となった。

なお、関東大震災(1923年)や大正天皇崩御(1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇と昭和天皇崩御の年は実施されている。

年々取扱量が増えていくと共に私製ハガキの取扱量も増えていったため、1935年に私製ハガキの貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年に年賀切手の発行が中止された、

太平洋戦争が勃発した直後の1941年12月24日、年賀郵便特別取り扱いが廃止された。

終戦後の1948年、特別取扱と年賀切手の発行が再開された。この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。

なお1955年には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄県でも年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。

お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年に寄付金なしのハガキもくじが付くようになった。1961年から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。

1970年代になると年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年から年賀切手にも「くじ」が付くようになった。

21世紀になると、デジタルカメラで撮った写真入りの年賀状を家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルが定着し、2005年からは光沢感がありインクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。
↑ココまで。

「郵便制度」ができる以前は、「使者」を使って、「年始挨拶の書簡」を送っていた歴史が、「郵便制度」の創設により、「年賀状を送ること」が、一般社会に一気に広まっていったわけなんですね。

そのため、「きちんと年始の挨拶回りにも来ないで、安易に年賀状を送るだけで済ますなんて…」なんていう愚痴も、当初はあったそうなんです(^^;)

つまりは、お年始の御挨拶は、取引先のお店に直接出向いて一軒々々御挨拶するもの。

これが常識であった時代から考えたら、年賀状を送るだけで済ますなんて…という考えになったわけですよ(;^ω^)

かわって現代社会は…

まあ、「年賀メール」の時代を経て、今や「年賀ライン」が主流になったわけですが(;´∀`)

「来年から年賀状をやめます」というお便りそのものも、現代社会の象徴なのかもしれないと思いましたから(;´∀`)

ただ、人間便利な社会になると、どんどん安直の手段へと流されていく…

これは歴史が証明していますよね(;・∀・)

今日は、「晦日」と「賀状」について書いていきました。

今日は大変長々と失礼いたしましたm(_ _)m

お時間のあります時に、ゆっくりと目を通してみてくださいませ(^_^;)
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