今日、12月14日は『元禄赤穂事件』があった日です…
といっても それってなに
っていう方がほとんどだと…
実は世に言う『忠臣蔵』の事なんです
『通称』の方が『正式名称』よりメジャーになっているもの。
挙げればいくつもありますが…
『ガラケー』も、その一つでしょうね。
正式名称『従来型携帯電話』または『フィーチャーフォン』であるわけなのですが…
果たしてこの『正式名称』を、どのくらいの方がご存知なのか…(;´∀`)
スマホはもちろんスマートフォン。
これは当然知られているわけですが、こと『ガラケー』に関しては、通称があまりに有名になりすぎてしまったせいで、NHKでさえ、「従来型携帯電話いわゆるガラケー」という言い方をしているくらいですからね(;^ω^)
では、本題の『忠臣蔵』。正式名称『元禄赤穂事件』に関して。
この名称は、本件を題材とした人形浄瑠璃と歌舞伎の『仮名手本(かなでぼん)忠臣蔵』の通称、およびそこから派生したさまざまな作品群の総称であり、本件自体を指す語ではないんですね
なので、私の中学時代にも歴史の授業で先生に言われたのですが、テストで『忠臣蔵』と書くと“バツ”になり、きちんと『元禄赤穂事件』と書かなければいけなかったんです
以下はwikiより↓
江戸時代中期、元禄14年3月14日(西暦1701年4月21日)、江戸城内の松の廊下にて赤穂藩藩主浅野長矩が、高家肝煎・吉良義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発する。松の廊下事件では、加害者とされた浅野は、即刻切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を不服とする家老大石良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士、いわゆる“赤穂四十七士”)による、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)の本所・吉良邸への討ち入り及びその後の浪士たちの切腹までを題材にとった物語の総称として使われる。
ただし忠臣蔵は、かなりの演出・創作・脚色が行われており、必ずしも史実の通りではないことも周知とされている。
というワケで、実は吉良邸襲撃の日は旧暦12月14日(正確には翌日未明)であったのですが…
まあ20世紀までであればこの時期によく『忠臣蔵ドラマ』も放送されていたものですが、昨今はあまり放送されなくなりましたね。
『歴史的事象名』よりも『作品名』の方がはるかに認知度が高い稀有な例として紹介させて頂きました
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