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2022年12月08日21:00

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日本の識字率

今日は、世界から見た日本の識字率について。書いてみることにします。

識字率…こちらはあまり耳なじみがないかもしれません。

「識字」を簡単にご説明しますと、要は「読み書き」の事です。

そして、「識字率」というのは・・・

一つの国に住む国民(この場合は、その国で生まれた国民を指します)が、どれだけ「読み書き」ができるのか。そんな割合を示した数字になります。

この識字率が、日本では世界に誇る数字になるのです。

ひらがなが書ける。カタカナが書ける。漢字が書ける。

「そんなの当たり前でしょうexclamation ×2」と思われるかもしれません。

しかし、あの大国アメリカでも、大人でも読み書きができない(もちろんアルファベットです)人がいることを考えると、99%以上の国民が、自国の文字の読み書きができる、

というのが、いかにスゴいものかがお分かり頂けるかと思います。

戦後、日本の敗戦を受け、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が日本を統治する事になった時、日本の文字表記に「ひらがな」「カタカナ」「漢字」といった風に「3種類」も存在する事。

さらには「漢字表記の難解さ」を考慮して、「少なくとも漢字は廃止して、日本語のローマ字化を進めよう」という議論が起きたんです。

時は戦後直後の昭和23年。1948年8月、CIE(GHQの民間情報教育局)が「日本語のローマ字化」を実行するにあたり、まず、日本人がどれくらい漢字の読み書きができるかの調査を行ないました。

当然当時はコンピューターになんてまだ存在しなかった時代。

どんな方法かは分からなかったのですが、日本国民を無作為に抽出して、全国一斉に、「日本語読み書きテスト」を実施させたんです。

ただ、明治時代に「幼少期」「学齢期」だった女性は、そもそも学校そのものに通えていなかった人たちも多く、中にはこんな事態も…

「私は子どもの頃、家の手伝いばかりでろくに学校も出ていません。だから、孫のこの子に代わりに受けさせてください」と。

それに対し、担当者も懸命に説得に当たったそうです。

「おばあさん。これは人身御供(ひとみごくう)じゃないですから。できてもできなくてもいいものなので、ちゃんとおばあさんが受けてください。」

文字として書けば簡単になりますが、拒否をし続けたこうした世代の人ひとりひとりを懸命に説得し、受験に結び付ける。

相当難儀なものだったらしいです(;^_^A

ただ、先に書いたこのおばあさん。

結果はやはり「零点」かと思いきや…予想外のことが起きたんです。

「漢字もろくに書けないから」とは言っていたものの、自分の名前であった「ひらがな」だけは、音として、理解していたのです。

そのため、音で何の文字かを判定するテスト…

たとえば「はなさん」だとして、「は」「な」の字形からの読み方だけは理解していたため、「は」「な」を含んだ「音の判定テスト」はクリアでき、零点という事態は免れていたのです。

その後「アメリカ教育使節団報告書」は、教育勅語の廃止、六三制義務教育、PTA導入、教員組合の組織の自由などを勧告していきましたが、唯一、実現されなかったのが「日本語のローマ字化」でした。

圧倒的な識字率の高さが母国語の存続を守ったのです。

「日本の教育」というものが、いかに世界に誇れるものであるかという事が、お分かり頂けましたでしょうか。

なぜ、あのマララ・ユスフザイさんがノーベル賞を受賞できたのか。

「女子教育」を「バカげたこと」ととらえる国民感情がある情勢の国の人間だったからこそ、受賞できたに他ありません。

片や日本は、日本人は、「教育」を「ありがたいもの」ととらえる人はまずいないでしょうし、「当たり前のもの」と考える人がほとんどだと思うんです。

以前の朝ドラ「花子とアン」(2014年)でも当時クローズアップされたのですが、わずか100年前の日本、明治〜大正期には、「女が学校なんか行ってどうする」という風潮が当たり前の時代だったわけですから。

大正末期までの日本では、女子は、子ども時代は、家の手伝いに明け暮れるのが当たり前。

もちろんその間(かん)、家を継ぐ男子たちは、きちんと学校に通わせてもらえていたわけです。

10代も半ばになれば、"嫁の貰い手"が来て、15歳以降なら嫁ぐのもごくごく当たり前のこと。

それからは、嫁ぎ先の家の"跡継ぎ"を産み育てることこそが女子の役割になる。

これが当たり前だったんです。

わずか100年前の日本では。

そんな当たり前があるからこそ、女子本人が学校に行かせてくれと懇願しても、その多くが「女が学(がく)なんかつけてどうするexclamation & questionしっかり家で働けexclamation ×2ぷっくっくな顔」と一蹴されるだけでした。

東南アジア系諸国でも、「学校に行くのが夢」と、目をキラキラ輝かせながら語る少年少女達がいます。

「当たり前」を享受してしまったがために、「教育」のありがたみを感じなくなってしまった我が日本。

英語の低年齢化も大事かもしれませんが、日本語教育も含めた「もっと大事なもの」があるんじゃないかと。そのように思うわけです。

「学校なんてなくなればいいのに…」

日本の子どもたちなら一度は思ったことがあるであろうこの感覚。

マララさんが聞いたらどう思うのかな。なんて(;´∀`)
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