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2022年12月03日22:07

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ノートの写し395

〇全ての子供は、生まれながらにして、輝かしい個性によって際立っている。まだ幼少時の子供たちはとてもかわいらしくて魅力にあふれている。子供たちの魅力の秘密は、魂と理性との調和のとれた一体性にある。彼らはあるがままの自分を受け入れているため、将来持っている魂の美しさは、理性の偽りのマスクによって歪められてはいない。
 成長するにつれて、なぜこんな素晴らしい存在であるはずの子供たちに、不愉快な特徴や悪い面が現れて来るのだろうか。何しろ彼らは神の子供たちなのであるから、生まれたての頃の寄る辺なさにもかかわらず、神自身のように美しく強いのである。彼らは始めから創造主の力を持ち、新たなリアリティを築き上げる能力を持っている。ところが、神の子供たちの能力が開花し発揮される間がないのである。なぜなら、コマたちが、子供たちの持つ神の力である魂と理性の一体性を奪ってしまうからである。
 子供たちはこの世界にやってきて、ビーズ玉のような両目を大きく見開き、信頼に満ちた澄んだ眼差しで世界を眺める。彼らにとって人生は期待と希望に満ち凍てると思われる。しかし、この世界では「分割統治」の原則に従って活動するコマたちが支配権を握っている。
 コマたちは人々の思考とその方向性を一つにまとめるが、その際、人格の独創性や一体性を破壊する。理性を魂から分離し遠ざけると、神から授かった美しさと力は失われていく。
 時間がたつにつれて、あらゆる希望は裏切られていく。あるものにとってこのプロセスはゆっくり痛みを伴わずに進むが、不運な者にとっては急激に残酷に進む。孤児院の子供たちの目を眺めてみると、希望と絶望という二つの相容れないものを同時に読み取ることができるような気がする。彼らの目には、「え、本当に」という果てしなく繰り返される疑問がまるで張り付いているかのようなのである。
 コマの世界は、子供たちがぜい弱で不完全なことを常に彼らに示す、最初、彼らの意識には不振が芽生え、その後、恐怖も生まれる。恐怖はしっかりと根付き、それに慣らされていく。怖いからと言って逃げ出すことはできないのである。この好戦的な世界で何とかして生き抜かなくてはならない。行動の強力な影響下に置かれている神の子供たちは、構造の構成員ならざるを得ない。
 子供たちは成長するに従い、皆と同じでないことに不安を感じるようになる。なぜなら、「皆と同じ」もの方が彼らに「言いがかりをつけて苦しめる」ことがしばしば起こるからである。群衆の中にあるとまだ安全なのである。ところが、もし群衆の外側に立っていると、仲間外れにされるかもしれない。こんな風にして、子供たちは生まれながらに持っていた独立心。意識性、直感、個性という天賦の才能を少しずつ失っていく。
 今述べたすべての資質を最高のレベルで持っているのがインディゴの子供たちである。だが、それらの資質は行動にとっての死を意味するも同然であるため、意思の土俗化プロセスは今後も加速される一方であろう。その戦いで誰が勝利を収めるかはわからない。
 私たちにとって大切なことは一つ。構造の側がまだ最終的な勝利を収めないうちに、今、この人生のうちに、神が私たちに与えてくれた力の一部分でよいから取り戻して置くべきなのである。その際、事象選択も私たちを助けてくるだろう。
 ところで、親愛なる読者であるあなたは、たまたまインディゴではなかったのだろうか。もっとも、そのことにさほど大きな意味はない。私たちはみな本質的に同じなのである。大人になった子供か、子供のままの大人かのどちらかである。

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