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2022年11月08日19:31

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AIと美術のお話…現時点での暫定的な考え方ですが

 近年のAIの進歩で,早くもこのような問題が出てきてしまったのですね(*´・ω・)

 もともとコンピュータというのは法令用語で「電子計算機」と呼ばれるとおり与えられた数式に基づいて極めて迅速膨大な計算を行うことには長けていても,自ら思考し何かを作り出すという能力を持ち合わせてはいませんでした。美術の分野においてもメディアアートやデジタルイラストのようにコンピュータの能力を活用した作品は既に数多く存在し美術の進歩発展に大きく寄与していますが,それらは人間による創作であるという点においては過去の美術作品と何も変わりません。画家が絵筆という道具を使い絵画を制作し,彫刻家が鑿という道具を使って彫刻を制作しているのと同様に,メディアアーティストやデジタルイラストレーターがコンピュータを道具にして作品を創っているのであって,作者はあくまでもその道具を使って新たな作品を創り出した美術家です。
 余談ながらデジタルイラストの制作は,最近では絵具やクレヨンと同じような感覚で行うことが可能になっているようですね。実際に僕の存じ上げている画家さんやイラストレーターさんの中にも,このデジタルイラストに注目して制作に活用している方が珍しくありません。ある画家さんなどは専門が日本画であるにも拘らず油絵をも得意としている方ですが「岩絵具・油絵具に加えて,新たな描画技術を習得したい」と仰って積極的にデジタルイラストの制作にも取り組んでいらっしゃいます。

 しかし現代に至って,AIという技術が登場しました。この「AI」というのは英語の"artificial intelligence"(人工知能)の頭文字を取ったもので,Wikipediaによれば「言語の理解や推論、問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピューターに行わせる技術」を指します。端的に言えばコンピュータが何らかの問題について自ら思考し結論を導き出すことも可能になってきたと言えるわけで,現代ではコンピュータは単なる計算機とは言えなくなっています。中国ではコンピュータを「電脳」つまり電気で動く脳と表現するそうですが,こちらのほうが現状に相応しい名前だと言えるでしょう。漢字文化圏の本家である中国の人々のセンスに脱帽すると同時に,日本でも実態に合わなくなってしまった「電子計算機」という名前を捨ててコンピュータの漢字名を「電脳」に改めるべきではないかと僕は考えています。
 美術の分野においても,たとえば文章や音楽という情報を入力して「この情報を絵画で表現せよ」という指示を下せば,コンピュータは独自にその情報を理解して「当該情報を絵画で表現する」という形で問題の解決を図ることが出来るわけです。無論,絵画に限らず彫刻であれ建築であれ工芸であれ,いかなる分野の美術作品を生成させることも可能でしょう。これは「コンピュータを使って美術作品を制作しても,作者は人間」というこれまでの考え方を大きく揺るがす事態と言わざるを得ません。既存のメディアアートやデジタルイラストにおいては情報を理解して推論を下し作品という形を作り出すのは作者自身でしたが,AIを利用した作品においてはその一番大切なところを人間ではなくコンピュータが行うのですから。もはや「AIを使って美術作品を制作しよう」と考えた者を作者とすら呼べないでしょう。その人がやっていることは画家に絵画制作を依頼するのと全く同じで,そういう立場の人は普通「発注者」と呼ばれます。

 とはいえ,今まではこのようなお話は空理空論の類でした。「AIを使った絵画の生成」といっても実際には既存絵画の「外側」,つまり画面に描かれていない額縁の外にある筈の部分を生成することが出来る程度で,ゼロから作品を生成させても一体何が描かれているのかも判らないような奇妙な図形が出来上がってくる程度だったのですから。しかし今回,AIが生成した絵画作品が公募展で最優秀作品に選ばれるという事態が実際に発生してしまいました。出展者のジェイソン・アレン氏という方は"Midjourney"というAIに何百枚もの画像を生成させて微調整を行い,最終的に残った3枚を選択して提出したのだそうです。「微調整や選択は人間がやっているではないか」とも言えそうですが,それを制作とは言いません。たとえば僕が画家を雇用して何百枚もの絵を描かせ,気に入った作品3枚について細部を修正させた上で公募展に応募したとして,その絵の作者は誰でしょうか。断じて僕などではありませんね。作者は僕に雇用された画家のほうであって,僕はただ細かな点に口を挟んで気に入ったものを選んだだけに過ぎません。
 AIの生成した作品が最優秀賞を取ってしまった事態についてアーティストのジェネル・ジュマロン氏はこれを酷評し,同氏に同調する人々も「クリエイティブな仕事の死を早めている」「高度なスキルを必要とする仕事は時代遅れになる危険性がある」と危機感を募らせているということです。たしかに「AIが人間よりも優れた絵画を生成してしまうなら,人間の画家には何の価値があるのか」という疑問には一理も二理もあるというべきでしょう。

 これについては僕も現時点ではただただ驚いていて,この事態をどのように評価すべきなのか,また「AIが人間よりも優れた絵画を生成してしまうなら,人間の画家には何の価値があるのか」という問いかけにどのように答えたら良いのか,確固たる考えを抱くには至っておりません。しかし楽観的かもしれませんが,僕は「これによって人間の描く絵画が存在意義を失う」などということにはならないのではないかと予想致します。
 実は新規の機械のせいで「画家の仕事が危機に晒されている」という騒ぎになったのは今回が初めてではありません。古く19世紀の半ばに写真という技術が開発された際にも,やはり画家たちは今回と同様の衝撃を受けたようです。「グランド・オダリスク」や「泉」で知られるフランスの画家ドミニク・アングルが「画家の生活を脅かす」として政府に写真禁止を申し入れたという話が今に伝わっています。たしかに肖像画など,絵画の一部は大きく衰退したことも確かです。大正生まれの僕の祖父は昭和40年代に亡くなった自らの母親(僕の曾祖母)の遺影制作を画家に依頼しましたが,当時ですら絵画による遺影は珍しくなっていたということを聞いています。その祖父も大変に長生きして近年世を去りましたが,祖父の遺影は写真であって絵ではありません。しかし,では絵画というものは世の中から無くなったか。そんなことはありませんね。現代でも大勢の画家が存在して数多くの傑作を生み出し続けているし,美術大学や専門学校でも次世代を担う画家たちが養成され続けています。その一方で写真もまた絵画とは別ジャンルの美術として確立し多くの写真家が優れた作品を制作しているし,美術大学や専門学校でも写真家の養成が行われています。絵画(或いは多ジャンルの美術作品)もまた「人間の制作したもの」と「AIの生成したもの」とがそれぞれ別分野の美術として両立していくのではないか。たしかに一部においてAIによる作品のせいで人間の活躍の場が縮小はするにしても。
 このように申し上げると「本当にそうか。絵画と写真は一見して明らかに違いがあるから両立出来たが,人間の描く絵画とAIの生成する絵画はそっくりではないか」という反論があるかもしれません。そして僕もそのように言われると言葉に詰まるというのが正直なところです。しかしまた僕は思います。「写真が画家の生活を脅かす」とアングルが不安を覚えた時代の人々には,写真も絵画そっくりに見えたのではないかと。仮に当時の人々が「両者は全く違う」と感じていれば,確かに絵画の一部について写真に置き換えられることは予測されたにしても「写真を禁止しろ」と政府に請願するほどの事態にはなっていなかったのではないか,と。

 絵画(およびその他の美術)について「人間が制作したもの」と「AIが生成したもの」としてそれぞれが両立していくというのは,或いは僕の予想ではなく単なる願望かもしれません。しかしそうなって欲しいし人間による制作活動にはそれだけの能力があるに違い無い。僕はそのように考えています。
 皆様はこの点,どのようにお思いになられるでしょうか。



画像生成AI「Midjourney」の描いた絵が美術品評会で1位を取ってしまい人間のアーティストが激怒
https://article.auone.jp/detail/1/3/7/48_7_r_20220901_1662000772585706
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