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2022年11月05日21:00

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とある「コラム」のご紹介

今日は、とある「コラム」のご紹介。

コラムニストの武田砂鉄さんという方がいらっしゃいましてね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%A0%82%E9%89%84

ご存知の方はご存知かもしれない。

日々、「ニッチ」な内容のコラムを書かれている、フリーライターの方なんです。

そんな彼の、ある新聞に掲載されていたコラムから。

「武田砂鉄のそもそもそれって」のタイトルで掲載されている、ある新聞のコラム。

あーあれかぁ(;^ω^)と、分かる方はニヤニヤしてくださいな(^^;)

以前、掲載されていた内容でこんなのがありました。

電車に乗っていた時のこと。

3人掛けのシートに、自分と、座席に乗せられていたギターと、うたた寝しているスーツ姿のサラリーマンが座っていた。

周りの乗客の目線は、その「ギター」と自分に注がれていた。

というのも、自分は普段着のジーパン姿。

誰もが、その、座席に置かれていたギターを、自分の所有物だと信じて疑わない。

「さっさと床に下ろせばいいのに」という、無言の白眼視が注がれていた。

けれども、そのギターは自分のではない。

うたた寝しているサラリーマンのものなのだ。

どうしようかと逡巡している最中(さなか)、駅に着くなり目覚めたそのサラリーマンが、そのギターをひょいっと持ち上げ電車を降りて行った。

周囲の目線は一変する。

「えっ?あのサラリーマンのものだったの?」と。

そう。人はだれしもまずは「見た目」で人を判断しようとする。

スーツ姿のサラリーマンと、ラフなジーパン姿の自分とで。

ギターの持ち主が誰なのかを、みな勝手に推測していたのだ。

と、こんな内容のコラムを連載されている方なんです。

さすがにそのまま「コピペ」は気が引けましたので、「概要」として載せてみましたがね。

「先日こんなことがありました。フツーなら誰しもこれこれこう思うんだろうが、自分はこう思っている。しかし、なかなか分かってもらえることは少ない。」

こんな内容のコラムを、多く書かれている方なんです。

また、別の日のコラムでは、こんな内容が書かれていました。

通っている美容院でのお話し。

コロナ禍となり、店内に自由に手にできる雑誌が置かれなくなった。

ただ、店員さんにお願いすれば、雑誌を持ってきてくれるのだが、「この人はこういうのを読むのだろう」というイメージで持って来られるのがイヤで、ずっと断っている。

店内が混んでいる時は、15分くらい、ただ何もせずぼーっとする時間を過ごしている。

だけど、日常で「何もしていない人」というのは奇異に映るらしく、必ず「何かお持ちしましょうか?」と、誰かしら話し掛けてくるのをすべて断り続けている状態。

「余計なお世話」には違いない。

だけど人はいつから「何もしていない人」を見ると、声掛けをしなきゃと思うようになったのだろうか。

何もしていない人がいても、その人にとっては大切な時間かもしれず、放っておいてくれる選択肢を持ってほしい。

こんな内容です。

受け取る人にとっては「面倒くさいヤツ」と捉える向きもあるでしょうかね(;´∀`)

でも、こういうニッチなコラムはなかなか勉強になります。

「人間観察」という意味でも。

現代社会において、電車内でも駅のホームでも公園のベンチでも…

「何もしていない人」というのは限りなくゼロに近くなりました。

公園のベンチこそ、おしゃべりしていたり、お弁当を食べていたりという光景は見られるものの、それ以外はほぼほぼ、スマホをいじっているわけで。

それがネットニュースなり、LINEなり、ゲームなり…

いろいろやっているんでしょうけどね。

なぜ歩いている時にまでいじる必要があるのか。

それが分からない←これはあくまでわたくしの感想です。

「歩きスマホはやめよう」なんていう、はっきり言ってバカバカしいアナウンスが流れること自体がおかしいわけで。

歩いている時くらい、歩行に集中しましょうよ。

道案内アプリを見ながら、というのはまだ理解できます。

でも、大半は、アプリゲームなりしながら歩いているんでしょう?

緊急の電話なら、せめてどこかに立ち止まって通話しましょうよ。

電車内でのケータイマナーのアナウンスだって、昭和の時代にはなかったわけで。

ケータイが爆発的に普及した、2000年ごろからバリエーションを変えつつ、徐々に増えていったわけなんです。

9年前の2013年当時。

責任者をしていた時の学習塾にて。

当時73歳の男性を雇用していたことがありました。

その時からさらに7年前の2006年に定年退職。

ただ、会社では内勤だったこともあり、携帯電話が必要ではなく、結局その当時の73歳まで、人生で一度も携帯電話を持ったことがなく、来たそうなんです。

なので、その方に連絡を取る時は難儀そのもので(^▽^;)

ご自宅固定電話におかけして、奥様が出られて取り次いでいただくという。

1990年代までの平成初期までは至極当たり前だったことをやっていました(^^;)

ただ、携帯電話に慣れた若者が、突然携帯電話を取り上げられたわけでもないわけなので。

その男性にとっては、「携帯電話がない」ことが、人生で当たり前に来て、不便に思ったこともない。

あえて、「電車の中とかではどうしているんですか?」と聞いてみたんですがね…

「ただ座ってぼーっと前を見ているだけですよ」と一言。

今現在は、この時から9年が経過している世の中なわけですが。

最早、電車の中で「何もしないでいる人」というのがより奇異に映る世の中になってしまったのかもしれません。

私自身、その出来事があって以降、電車に乗ってまずするのは、「何もしていない人」を探すこと。

ほとんどがスマホに興じていて、残りが読書をしている人。わずかに新聞を読んでいる人。

さらにさらにごくごくわずかな割合で、「何もしていない人」というのを見かけると、しばしその人に目をやるんです。

居眠りしているならあえて注視はしませんが、本当に「何もしていない人」だと、やっぱり意識して見てしまうんですよ(;^ω^)

スマホアプリの様々な広告でも…

「電車内のわずかなスキマ時間で〇〇しよう」と、様々なアプリの宣伝をしてくる。

「何もしないでいる時間」→もったいない

「スキマ時間を少しでも有効に使おう」
こういう風潮になってしまったというわけですからね(;´Д`)

これ。勘違いしないでいただきたいのは…

「歩きスマホ」は論外として。

電車内でスマホをいじっている人を批判するものではないんです。

言いたいのはあくまで…

「何もしないでいる人を尊重してほしい」というものだということなんです(;・∀・)

体調が悪そうでうずくまっている人がいたり…

明らかにキョロキョロ何かを探している人がいたり…

そういう人に声掛けをするのは至って自然のこと。

だけど、「ぼーっと何もしないでいる人」こそ、尊重してほしい。ということなんですよ(;^ω^)

多分、多くの方には理解していただけないことは、よく分かっています。

それだけ現代社会が「せわしない世の中」になってしまったということですからね(^-^;

だけど、こういう考えを持つ人もいるんだということを分かっていただきたいなと思い、武田砂鉄さんのコラムも載せて、今日は書いてみましたあせあせ
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