mixiユーザー(id:6980289)

2022年10月25日21:51

28 view

ノートの写し378

〇リアリティの操縦を会得するには、少なくともリアリティが形成される仕組みを理解しておく必要がある。だれもが一番直接的な方法によって自分の世界の層を築いている。しかしながら、多くの場合、それがどのようにして起こるのかを本人は知らないでいる。
 人は「自分の欲するとおりに」なるよう努力する。そして、「顔を向けた方へ行く」「押せばたわむ」という簡単な原則を世界に当てはめようとする。しかし、なぜか世界はそれに従おうとはしない。それどころか、人が顔を向けた方向とは全く別の方向へと運ばれてしまうのである。
 少し考えてみる必要がある。もしリアリティの振る舞いが期待にそぐわないのであれば、別のアプローチをとらなくてはならないだろうという事である。もしかしたら、リアリティは全く別の法則に従っているという事だろうか。だが、人は立ち止まって周りを見回そうとはしたくないもので、頑固に自分の考えを貫こうとし続ける。
 そんな頑固な「創作活動」の結果、「自分の欲するとおりに」とは全く違う世界の層が出来上がっていく、というよりは、多くのことがまさしく、「自分の望まなかった通りに」なってくる。なんと不可解で、気まぐれで、強情なリアリティであろうか。
 世界はまるで嫌がらせをしているかのように振る舞ってくれるものだと感じることが良くある。説明のつかない力によって不快なことが引き寄せられてくるような気がするのである。懸念は現実のものとなり、悪い予感は的中する。憎悪を感じたり避けたいと思うことが、執拗に私たちの後を付きまとう。なぜこんなことになるのだろうか。
 事象選択シリーズの初めの部分で、「欲しないものを受け取る」ことになってしまう理由にについて、すでに述べた。そうあってほしくないという気持ちが激しい場合は特にそうである。心底から憎んだり不安がったりすると、魂の意図がそうしたものを惜しみなくもたらしてくれる。
 魂と理性の一致した状態で生まれる思考エネルギーは、潜在的な可能性を実現する。言い換えるならば、もし魂の感覚が理性の思考と一致すると、思考エネルギーの放射パラメーターに合致する、亜空間にあるセクターが物質化される。
 しかし、それは悪い予感が現実化される唯一の原因ではない。一般的には、問題の無い人生というのが常態なのである。バランスを乱すことなく、事象の流れに従って進むのであれば、全ては首尾よく円滑に運ぶ。自然はエネルギーを浪費したり、陰謀をたくらんだりすることを好まないのである。
 ありがたくない状況や事象は、過剰ポテンシャルが周囲のエネルギー分布にゆがみをもたらした結果として起こるのだが、依存関係はそうした度合いをさらに強める。
 過剰ポテンシャルは、何らかの質に過度に大きな意義が与えられると発生する。また、依存関係は、人々が互いに比較しあったり、対置したり、「もしお前がそうなら、俺はこうだ」というたぐいの条件を設定したりすると、人々の間で出来上がる。
 歪曲された評価そのものがほかと関係なく存在しているときの過剰ポテンシャル自体は、それほど恐ろしくない。だが、ある対象についての評価がほかの対象と比較されて人為的に高められた途端に、分極化が生じ、それが平衡力の風を呼び起こすことになる。
 平衡力は発生した分極化を除去しようとするが、多くの場合、その作用は、分極化を生じさせたものに抗うようにして向けられる。
 ほかと関係ない過剰ポテンシャルの例を挙げてみよう。「私は君を愛する「私は自分を愛する」「私は君を憎む」「私は優れている」「君は劣っている」このような評価は、比較や対置に基づいていない限りは、自己完結している。
 次に、依存関係によって生まれた過剰ポテンシャルの例を挙げてみよう。「君が私を愛するのなら、私は君を愛する」「私は君たちのだれよりも優れているから、自分を愛する」「君は劣っている。なぜなら、私の方がより優れているからだ」「私は優れている。なぜなら、君は劣っているからだ」「私は自分が気に入らない。なぜなら、私は誰よりも劣っているからだ」「私は君が嫌いだ。なぜなら、君は私のようではないからだ」
 一つ目のグループと二つ目のグループの違いはとても大きい。比較に基づく評価は分極化を生み出す。平衡力は、分極化によって生み出される異質性を、正反対のものを衝突させるやり方によって除去する。磁石の両極が互いに引き合う事と全く同じである。
 まさしくこの理由で、不快事はしつこく当てこすりのように人生に入り込んでくる。例えば、夫婦の中には、まるで互いに罰しあっているかのように相性の悪い二人がいるものである。様々な人間集団の中には、あなたを何かでいらだたせる人が必ず一人くらい入るものである。マーフィーの法則、あるいは事象選択流に呼ぶならば、「卑劣さの法則」というのは、同じ本質を持っている。一般に、近所づきあいでの問題は、人騒がせな隣人というのが必ずついて回ることである。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する