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2022年10月23日21:47

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ノートの写し376

〇人と周囲の世界との関係は、何らかの目新しいことがいやおう無しに平凡な日常性の中に流れ込んでくるようにして創られて行く。リアリティは、空に浮かんでいる雲のように、常に姿を変える。しかし、亜空間における物質的現実化の進展を感じ取れるほどには変化の速度は大きくない。一定の時間間隔を置いてインターバル撮影した雲の画像を再生すると、雲の動きや変化が明らかになるのと全く同じこととである。
 束の間の閃光となって人生を活気づけてくれるみずみずしい変化でさえ、あっという間に色褪せてしまう。珍しいものはありふれたものとなり、祝祭の喜びは日常生活の中に溶けて消える。退屈だ…。
 ところで、退屈が一体どうしたと言うのだ。納得いく答えを出すのは難しい。退屈といかにして戦うかを説明する方が簡単である。魂と理性は日常生活の単調さから逃れようとして、いつもと違う印象を与えてくれるありとあらゆるおもちゃを発明する。玩具は退屈を紛らわす良い薬なのである。それがゲームならもっと素晴らしい。それ遊びと並んで人気のあるのは、かくれんぼや鬼ごっこなどの陽気な遊びである。人間は大人になると、スポーツの試合からバーチャル・リアリティに至るまで、もっとずっと手の込んだ楽しみを考え出す。様々な種類の職業の中には、本質的にゲームと呼ぶしかないようなものさえたくさんある。
 それにしても、なぜそうした職業がたくさんあるのだろうか? ゲームとみなすしかない仕事あげてみたら良い。もし人が何かを行っているのなら、いずれにせよその人はプレイしているのだという事に注目願いたい。子供たちが行っていることを、大人たちは好意的に「ごっこ」と呼ぶ。では大人達はというと、重要性を持ち込んで自分の仕事だと称しているものをプレイしているのである。
 子供たちも大人たちも自分が行っていることに責任感を持って打ち込んでいる。子供に何をしているのかと尋ねると、その子は真顔で、ほとんど心配そうな表情を浮かべ、「〇〇ごっこだよ」と答える。大人を仕事から引き離そうとすると、憤慨しながら、「大事なことをやっている最中だから、手が離せない」という事だろう。
 このように、ごっこやゲームとは真剣なものなのである。子供がごっこをしていないときには、何をやっているだろうか。普通は、いたずらをしてふざけているのである。では、大人たちはどうか。ぶらぶらする、無為に時を過ごす、という表現が用いられる。しかし、ぶらぶらしていると、すぐに退屈してうんざりする。そこで大人たちはまた何かゲームをやりたくなってくる。
 ではなぜゲームは必要なのか。退屈からぬ出すためだけに必要なのか。あるいは、こう問い直した良いだろうか。何が退屈の原因なのかも、感動が足りないからだろうか、と。
 この問いはありふれたものに思われるかもしれないが、実のところ、そんなにありふれた物ではない。ゲームへの熱情の根底には、この世界と同じくらい古くからの欲求が横たわっている。生き物にとって何が最も必要なものなのであろうか。生き残ること、自衛本能だろうか。固定観念によればそうなっているが、正しい答えではない。たぶん繁殖への欲求だろうか、それも違う。それでは正解は何だろうか。
 もってとも重要な欲求とは、この自分の人生をある程度は自分の意のままにしたい、という事なのである。これこそがあらゆる生き物の行動の根底に横たわっている欠くことの出来ない原理である。自己保存や繁殖といった本能を含む残り全ては、この原理の結果として存在している。言い換えると、いかなる生き物であっても、その人生の目的と意味は、リアリティの操縦にある。という事になる。
 だが、もし周囲の世界が自分と関係なく存在し、全く好き勝手に振る舞い、時には敵対的でさえあるならば、リアリティの操縦など不可能である。食べ物の一部を横取りしよう、居心地の良い場所から追い出そう、あるいは、あなた自信を取って食おうする輩は、いつ現れてもおかしくない。人生を楽しむ気にはなれず、人生は偶然に起きるものであって、それをどうしようもないと言うのでは、何とも虚しく、また恐ろしくさえある。そこで、取り巻く世界を自分でコントロールすることが切実な願いとなったり、また時には無意識の欲求となったりするのである。
 今述べた論旨の展開は、多くの読者にとって意外なことに思われるかもしれない。「なぜそうなるの? だって私達にとって自営本能が一番大切であるのはいつだって明らかなはずなのに、ところが、もっと基礎的な何かの結果に過ぎないだなんて、…」 
 一見しただけでは、奇異に思われるだろう。生き物がたとえ何に従事ししていようと、そも取れを解明してみるならば、全ては取り巻く現実を自分のコントロール下に置こうとする試みに行きつくのである。これこそが、あらゆる生き物の活動の根本にあるすべての意図の基本的動機であり、原点なのである。

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