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2022年09月25日12:44

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もめ事嫌いのブルーズマン

 
【他所へ書いた文章を保存用にここに貼ります、趣味の話なので、興味のない方はスルーしてね】

 『ブルース&ソウルレコーズ』誌のコラム原稿を書くために、濱ちゃん編集長から借りた(自分でも注文したんだけど、原稿の締め切りには間に合わないから)ジミー・ロジャース伝を読んでいる。

 この人、拙著『黒い蛇』で取り上げなかったから、あまり勉強してなかったんだけど(他の人について調べるので手一杯だった)、ほんとに素晴らしいブルーズマンだよね。
 ブレイクダウンのはっちゃん(服田洋一郎さん)は、この人の影響をかなり受けてるなと、いまごろ気がついた(40年遅いっつうの!)。

 真面目で、温厚で、子どものときからブルーズに魂を奪われてて、ただし、暴力や破滅型の人生(酒とギャンブルと・・・)は嫌い。
 小学校のころ、鉄道列車の掃除係だった母代わりの祖母に従(つ)いて各地を転々として、学校にほとんど行けなかったことをすごく後悔してて、だから、子どもにはちゃんとした教育を受けさそうと頑張って働いた、つまりはよき家庭人。
 ロバート・ロックウッド・ジュニアなんかもそうだけど、こういう世間の「ブルーズマン」のイメージとは別の生き方をした名手も少なくなかったってことを、忘れちゃいけない。

 評伝には、え、そうなの! というようなエピソードが満載なんだけど、生い立ちの話があまり出てこないジョン・リー・フッカーが、ジミーがミシシッピ州ヴァンスにいた十代前半の遊び仲間だったという話には、(私が不勉強だからかもしれないけど)驚いた。

 当時、ジミーは、ちょっと年上のスヌーキー・プライヤー、ムーディ・ジョーンズとつるんで、一緒に遊んだり、ブルーズの練習をしたり(ジミーの最初の楽器はハープ)、ジュークジョイントの回りをうろうろしたり(子どもだから入れなかった)していた。
 ジョン・リーはジミーの7つ年上なんだけど、体が小さくて細っちかったから、年下のジミーたちのところへきて、一緒に遊ぶようになった。
 ちびで弱そうだったジョン・リーは、近在の(といっても田舎のことだから、ジミーとスヌーキーが遊ぼうと思ったら1時間くらい歩いて相手の家のあたりまで行かなきゃいけない、みたいな地理環境での「近在」なんだけど)他のティーンたちにとって、格好のいじめの対象に見えた。

 でも、それは間違いだったんだよね、とジミーは語る。 ジョン・リーはなんといっても年上だからケンカの仕方を知っているし、しかもなかなかのハードパンチャーだった。 だから、いじめにかかった相手を、ことごとくのしてしまったという。
 なるほどね。 
 ジョン・リーは、60過ぎても自分のセックスアピールをネタにした曲を歌ってたけど(富山に来たときも、客席の特定の女性の前に椅子を持っていって、「ええ仕事しまっせ」と集中的に歌いかけてた)、昔けんかに強かったという自信が、その背景にあったのかもね。

 ちなみに、ジミーは、先にも触れたように、ケンカや暴力沙汰はきらい。 南部のジュークジョイントやシカゴのクラブで演奏するようになっても、その種のもめ事が始まったら、一目散に現場を退散したそうだ。
 「だって、長生きしたいからね。」

 いま、やっとこの本の、シカゴでどんなふうにしてマディと知り合ったかというあたりまで読んだところなので、そのあとに面白いエピソードが出てきたら、またアップします。
 
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