今、改めて【関東大震災】を考えてみる…
大正12年。1923年9月1日。午前11時58分発生。
現在の震度計の【震度7】にあたる震度を記録したのが、神奈川県小田原市から鎌倉市にかけてでした。
私の亡くなった祖父が1923年11月生まれで。
計算上、1923年9月の時点では、祖父の母の曾祖母が身ごもっていた期間に当たっていて、曾祖母から聞いた話として、生前祖父からその当時の話も聞いたことがありました。
先の大戦の体験話でさえ聞くことが難しくなったこの時代。
関東大震災のことを生で語ってくれる方は、もうほぼいらっしゃらないでしょうから(;´・ω・)
改めて、99年前の、この1923年という年。
どういう時代だったか、簡単に説明しますとね…
スマホもケータイも、なんて言い方はよく小中学生にするいい方なのですが(;・∀・)
パソコンはおろか、テレビも、そしてラジオの放送も始まっていなかった時代。
つまり、メディアという意味では、日刊新聞だけだったんです。
テレビもラジオもなかった時代に起きた、最後の天災だったと思うんです。
テレビもラジオもなかった時代の震災とはどういうものなのか。
1923年9月1日。午前11時58分。
あれ?と思う間もなく、大きな揺れに襲われる。
震度がいくつかなんて当然知りようもないし、他の地域でどんな被害が出ているかも分からない。
把握できたのは、翌朝配達される新聞まで知りようがない。
そういう時代でしたから(^^;)
お昼時の震災ということもあり、昼食の準備の関係での火災が大きく発生し、広いエリアでの火災につながり、多くの家屋が焼損しました。
そして、日本の歴史上の黒歴史の一つがこちらです。
『関東大震災朝鮮人虐殺事件』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これは、調べれば調べるほど。いかに当時の日本人の情報力のなさ。そして、差別意識の強さが分かるんです。
現代社会でもSNS上で公然と差別発言をしている人は多々いますが、それを実際、世間に広く実行した例とでも言えるものかもしれません。
関東大震災の混乱の中で、「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、それを信じた当時の官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件で、現在まで、正確な犠牲者数は不明となっていますが、専門家の見解により、推定犠牲者数に数百名〜約6000名と、幅広いギャップがあります。
100年近く経った現代社会でさえ、事件が起きれば「やったのは中国、韓国人だ」というコメントがSNS上にあふれることを考えると、日本人の本質そのものは、大きく変わっていないことが分かるんです。
事件、事故が発生し、「発生から〇年」という報道が昨今増えましたが。
この"最古"とも言えるのが、おそらくこの【関東大震災】だと思います。
これ以上の古い歴史(あくまで事件、事故に関して)は、年数単位で報道されないと思いましたから。
【関東大震災】発生からまもなく99年。
関東地方で発生した、『震度7』クラスの最後のケースとして。
まだこれからも、継承していかなければいけない『震災の記憶』は多くあるはずですからね(;´∀`)
明日の掲載はお休みします。
次回は8月29日(月)にて(`・ω・´)ゞ
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