最近の犯罪で目立つようになったのが…
「コロナのせいで収入が減り、むしゃくしゃしてやった」という動機。
そしてその犯行の詳細をワイドショーが事細かにパネルを使って解説し、それによる模倣犯も相次いでいるという。
こういう事細かな報道スタイルにも疑問を抱きつつも…
さらに目立つのが、自身が不当な行為をしているのを咎められてからの大きな犯罪行為に出ることなんです。
たとえば学校の不登校。会社の無断欠勤から会社のお金の着服まで。
それらを咎められて叱責され、社会的に大きな影響のある犯罪行為を犯してしまう、という事例も多く出ているわけなんです。
日本の犯罪の気質が、コロナによって大きく変わりつつあるといいますかね…
予想外…というのは語弊があるものの、これまでの犯罪とは性格の違うものの事件が相次いでいると思ったんですよ(-_-;)
特に昨今目立つのは…
「死刑になりたいから大きな事件を起こしたかった」といったもの。
昭和の昔から、「死にたい」「死刑になりたい」という人は潜在的に多くいるんだと思うんです。
でも、その"手段"が分からないからこそ、みな平然と暮らしている。
そこに「京アニ事件」のような"お手本"の事件が起きてしまった…
そして、さらには、以前頻発した"電車内テロ"もそう。
これら2つの事件においても、ワイドショーは、模型やパネルを使って日々事細かに報道し、それに着想を得た事件が相次ぐことになったわけです。
特に、"電車内テロ"の手口と言うのは、「なんでもいいから大きな事件を起こして死刑になりたい」という人に対しての格好の材料を与えてしまったと思ったんです(~_~;)
ネットで「爆弾 作り方」とでも検索すれば、素人でも爆弾が容易に作れてしまう現代SNS社会です。
それが単なる脅し程度か、殺傷能力のあるものになるのかは、製造者の能力によると思うんです。
今日なにを伝えたかったのかと言いますとね…
潜在的に「大きな事件を起こして死刑になりたい」という人は世の中に一定数いると思うんです。
事件を起こさない・起こせないのは、その手段を知らなかったからに他ならないわけで…
手段さえ分かってしまえば、行動に移してしまうのは容易だということなんです。
容疑者の動機や手口を伝える報道も必要かもしれません。
ただ、この現代社会においてはそれが、【潜在的死刑願望者】に対しての一助になってしまっていることも、肝に銘じる必要があると思うんです。
なら、ワイドショーがなくなれば、大きな犯罪がなくなるのか、と言えば、そんな短絡的な問題ではないことは分かっています。
ただ、大きな犯罪に着想させるヒントを与えてしまっている以上、報道の在り方は考えるべきなのかなとも思うんですよ(^^;)
今、こうしている間にも、死刑になりたいと画策し、なにか大きな事件を起こしてやろうという人はきっといるはずです。
そうなった場合、『死刑以外の刑罰』というのも、時として必要ではないのかと思うわけなんです。
死刑執行のニュースを見て、「あんな大きな事件を起こしたから死刑になってしまった。自分は死刑になりたくないから、あんな事件は起こさないようにしよう。」
これがある意味本来(?)の死刑刑罰による犯罪抑止の目的なら…
ごくごく一部の人でしょうけど、その抑止が無意味になっているという現実。
社会的に大きな死傷事件が起きればみな一様に「死刑にしろ」と声高に叫ぶのも理解はできます。
だけど、死刑願望者に対しての、死刑以外の刑罰も必要なのではないかと。
もう今は、情報はなんでも手に入る時代ですからね(;^ω^)
これが、今日のわたくしの結論です(´-∀-`;)
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