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2022年07月24日23:37

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ノートの写し337

〇自分が握りしめているものを放そうと努力して、あなたはもっと力をいれる。努力や熱意は過剰ポテンシャルを高める。努力や病的な執着の原因は重要性である。もしあなたが食らいついているものと戦っているのであれば、それを放すことはできないだろう。重要性と縁を切ると、執着はひとりでに弱まる。
 重要性を引き下げると、ベクトルの方向を意思の意図の領域から魂の意図の領域へと転換させることになる。どんな根気も重要性によって生み出されている。根気強く行動するあなたは意思の意図を働かせている。障害とは重要性という基礎の上に築かれている。あなたが重要性を引き下げるや否や、障害は砕け散るため、障害を克服するための意思の力はもういらなくなる。重要性がなくなと、達成する決意は所有する決意に変わり、魂の意図が働き始める。
 あなたには選択する権利がある。そしてその権利を奪い取る必要は無い。もしあなたが、自分の選択する権利を獲得する決意でみなぎっていたら、失望を覚悟していただこう。決意満々であるという事は、つまり断固たる態度ということになる。またしてもぎゅっと握りしめて、絶体に放すまいとしているのである。まもなく平衡力がその情熱に水を差すことになる。また、あなたの重要性を察知したコマは、すぐに挑発行為に取り掛かるだろう。まさにこうなることをあなたは身をもって知ることになる。
 冷静な決意を得ようとする試みがうまくいかないくても、不安になったり落胆したりしてはいけない。人々がエネルギーを目的そのものではなく、コマの餌に振り向けることは習慣化している。最終的にあなたはここでいう「決意」と「決断力」との違いを学び取るだろう。所有する決意とは、無条件にあなたのものである物を手にする冷静でありふれた意図にすぎない。「私は自宅のポストに届いた郵便物を取ってくる決意に満ち溢れている」という表現は何とも狡猾に響くことと思う。そんなわけで、穏やかな気持ちで固執したりせず、あなたは自分の選択する権利を行使するべきである。
 人生においては、試験、コンクール、テスト、ありとあらゆる適性検査などに合格しなくてはならないときが常にある。しかし、所有する決意はひとえにあなた次第なのである。あなた自身が試験管の役割を演じるのである。人は自分を能力のないつまらない者とみなすか、または目的を達成困難なものと決めつけてしまうか、そのどちらかが大方の相場と決まっている。惰性でそんな風になってしまうのである。なぜならそうすることが習慣化してしまったからである。必要なのは、とにかく所有することを自分に認めてあげる事である。慣れていないと感じるのはもっともな話である。それでもあなたは所有することを思い切って自分に認めてあげることだろう。ニュートンやほかの人々のリンゴが地面に落ちるならそうさせておけばいい。それにもかかわらず、あなたのリンゴが空へと落下するのを認めてあげよう。
 あなたは所有する決意を得ようと必死になって望んではいないだろうか。願望を断ち切ること。望むのはもうたくさん。あなたはそのままでも必要とするものを受け取るだろう。自分の目的を達成すると、ただ思うだけである。要求せず、執着もせず、穏やかな気持ちで目的を達成するのである。「それを欲しいのだけど、何か問題でもあるか?それは私のものになるんだよ」
 所有する決意は、意図の自由エネルギーによって形成される。所有することを自分に容認する際に、二つのことが邪魔している。一つ目は、魂と理性との間の不一致である。二つ目は、内的重要性と外的重要性の過剰ポテンシャルである。過剰ポテンシャルは自由エネルギーを奪い取ってしまうのである。
 所有する決意を「欲するとそうなるだろう」という類の普通の想念であると思っているならば、それは間違いである。本当は、そのような想念は意図のエネルギーで満ち満ちていなければならない。そうでなければ、それはよくある理性の独り言であって、それ以上のものではない。言うまでも無く、想念は魂と理性が一致した状態から生じるものでなければならない。さもないと、意図のエネルギーの変換が純度の高いものではなくなってしまう。もし自由エネルギーのかなりの部分が過剰ポテンシャルに奪い取られると、意図は力を持たなくなる。

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