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2022年07月10日09:52

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京都の石碑。

18歳で京都の河原町御池にあった京都調理師専門学校に通うようになって、
京津線(京都と滋賀県大津を結ぶ京阪電車)の追分駅(おいわけ)の寮から電車に乗り京阪三条駅で降りて歩いて学校まで行く道すがらが、三条大橋を渡ると
すぐに新選組のなんのそれの、池田屋跡の石碑、
そこすぐ先に高瀬川と言う細い川があって、角に和菓子屋があり、
その向かいに佐久間象山 大村益次郎遭難の地(二人のそれは、5年空いてる)
を毎日見て通ってた。
で、その学校の河原町を隔てた向かいは、
本能寺、、2度移築された後なので、信長のそれとは位置は違うが、
その近くに本屋があり、トイレに困ると、人ひとり通れる勝手口のような
細い道から本能寺に入れて、すぐトイレでそこ使ったり。
先斗町で働いて、隣の通り飲み屋街の木屋町に出ると、
土佐藩邸跡の石碑を観て過ごしたり、

京都は争いの地だったので、もっともっといっぱい石碑があるし、
住んでた山科区の中にも、血洗町だの封じ山だの、
日ノ岡って地名に住んでた頃は、
住宅地に古そうな墓地があったし、どこそこに幽霊出るとか、ってな
そんなこんなの京都暮らしで。

独身の頃、ネットで見つけた、東京駅ホテルに泊まったことがある。
古いままの建物を改装しているので、
ホテルは狭いのに廊下の幅が広かった。
付いてきてくれたホテルマンに訊いてみると
「偉い人が停まるときには御付きの人と一緒に歩くので、、」
と。御付きの人は警護の人だろうと思う。
その東京駅ホテルの通路から、
開札口が見えて、その壁には、原敬首相、遭難の地とプレートがはまっている。

先般の大事件で、思い出した事。


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