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2022年07月01日00:01

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もはや自我枯渇・・・

猛暑である。大学の単位認定試験三週間前である。
「社会・集団・家族心理学」によると、
《費やされる認知資源は無限にあるわけではないので、特定の目標達成のために資源を使いすぎると底をつき、他の目標達成のために資源を割けなくなってしまう。これを自我枯渇という》・・・
まさにそのとおりだ。
6月初めから始まったうちのマンションの大規模工事。埃と騒音で窓も開けられない日が続き、ベランダものをすべてどけろと言うので、鉢植えをあっちにやったりこっちにやったり。果てはご近所のカムイさんに車まで出してもらってクンシランを預かってもらった。
網戸を外したり付けたり。この暑さの中で夫が網戸付けでくたくたになっている。明日はベランダのゴミ箱まで洗って部屋の中に入れなければならない。
まあ、大掃除が出来て幸いなのだが、体調の悪いときにはつらい。このところずっと医者通いだ。

騒音で試験勉強することも休むことも出来ず、しかも『ぴんくの方程式』本作りの最後の追い込みと重なり、ストレス半端じゃない。
あまつさえ、ホームムービーデー活動(HMD)のお仲間からフィルム相談の件。葉山でHMDを開催するから、葉山が映っているフィルムを貸してほしいとのこと。
まる一年以上活動を休んでいたのに仲間として覚えていただいていてありがたい。が、しまい込んでいたHMDのDVDを探し出したり、中身を確かめたり、フィルム提供者に当時の様子を訊いたりで、いよいよいっぱいいっぱいになってきた。まさに自我枯渇だ。

とりあえず久しぶりにHMDのフィルムを見た。
1972年の「葉山マリーナ」の映像で、子供たちがプールにいっぱいだ。サイレントだが歓声が聞こえてきそうだ。
他人様の映像ながら、なんか懐かしい。こういう時代が誰にもあった。
しかし若いときは身体が自由でも心が不自由だった。いまは何でもやりたいことができるが、身体がガタガタでちょいと行きたいところにも行けない。
病床の山之内監督が「忙しいのはいいことです」と言っていた。
そうだな。やることがあるうちが花だ。枯渇しながらもベストを尽くす。

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