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2022年06月12日14:41

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「戦争は女の顔をしていない」その16

「子供の入浴とお父さんのようなお母さんについて」の章

(パルチザン)
「ミンスクの空襲が始まった…。私は息子を迎えに幼稚園に駆け付けた。
娘は2歳になったばかり、託児所は郊外に移動していた。」
「家に息子を連れて帰って、姑に見ていてもらうよう頼んでから娘を迎えに行った。
託児所が移ったはずの場所には誰もいなかった。村の女の人の話では
子どもたちはどこかへ連れていかれたという。誰が?どこへ?
子どもたちには2人の女の先生がついていて、町まで歩いていったのでしょう。
町まで10キロ…1歳から2歳のちっちゃな子供たちが。大変なことになった。」
「その子たちを2週間探し回ったわ。
ある家に入ると、まさにあなたが探している子供たちに違いない、と言われたの。
子どもたちは熱を出していてうんこまみれだった。
託児所の所長はうら若い女の先生だったけど、白髪になってたわ。
町までの道を徒歩で、途中で迷子になったり、何人かは死んでしまった。」
「私たちは戦うことを夢見ていた。何もしないでいるのが辛かった。
地下活動に加わることができて、なんて嬉しかったことか。
息子は万一のために姑のところにやりました。姑は条件を出しました。
孫は引き取ってあげよう。でももう二度とここへは来ないでおくれ。
お前のせいで私たち皆殺しにされてしまうよ。三年間息子には会わなかった。」
「1年以上、私は娘といっしょだった。
ドイツ語のタイプライターを届ける使いに出されて、空からは爆撃されるし、
地上では弾丸が飛び交うし。私がつまづくと娘が湿地に転がり落ちる。
また少し進めばまた転がり落ちる。そういうことが2か月続いた。
生き延びることができたら沼地から千キロ離れたところに住む、
生涯沼地は見たくないと何度も誓ったわ。」
「本国から飛行機が来ることになった。一番重症のものを運び出すためで、
私の娘も連れて行ってくれた。負傷者が身を乗り出して
「エーラチカ、こっちにおいで、ここに座れるよ。誰といっしょかな?」
「おかあさんよ、おかあさんは残るの」「お母さんも呼びな、一緒に飛べるように。」
「だめよ、おかあさんはファシストをやっつけるんだもの。」
「息子に会ったときのことを話すわね。これはもう、解放されてからのこと。
姑が住んでいる家についても足が前に出ないの。部隊の年かさの女性が言った。
決してすぐにお母さんだと名乗ってはダメよ、あんたがいない間どんな思いをしたか。」
「姑はチフスで死んで、隣の家が引き取ってくれた。そこの庭に入っていった。
息子ははだしでぼろぼろの身なりをしているの。
「名前はなんていうの?」「リョーニャ」「誰といっしょなの?」
「前はおばあちゃんと。おばあちゃんが死んだとき、僕が埋めたんだよ。
毎日そこへ行って、いっしょに連れて行ってって頼んでいたんだ。」
「お母さんとお父さんは?」「お父さんは生きてる、戦争に行ってるんだ。
お母さんはファシストに殺されたんだよ、おばあちゃんがそう言ってた」
二人のパルチザンが私といっしょにいて、息子と私の話を聞いて泣いている。
私はもう我慢できなかった。「どうして自分のお母さんがわからないの?」
息子は私に飛びついてきた。「おとうさん」私は男物の上着に帽子だったの。
それから「お母さん」と叫んで抱きしめてくれた。すごい泣き声だったわ。」

(パルチザン)
「とても激しい戦闘があった時のこと。お弔いではふつう短い挨拶があります。
まず指揮官、それから友人たち、死者の中に地元の若者がいてその母親もやってきた。
「大事なせがれや、家をつくってやったじゃないか。娘っこを連れてくるって言ったろ?
村の娘といっしょになるって。」部隊の人たちはじっと黙っていた。
その母親は顔をあげると、他の若者たちの遺体に気づきました。
そして、他人の息子たちのためにも嘆きの言葉をかけたのです。
「大事なせがれたちや、あんたたちのおっかさんは会えないんだね。
あんたらが土に埋められるのを知らないんだよ、こんな冷たい土に。
おっかさんみんなに代わってあたしが泣くよ、大事な大事なせがれたちや!」
男たちは声をあげて泣きだしました。誰もがまんができませんでした。」

(パルチザン、医者)
「私は自分の村に帰りました。自分の娘を探しました。みんな同じに見えるんです。
羊の毛を刈るように坊主刈りになっています。女の子か男の子かもわかりません。」
「子供の手をひいておばあちゃんが出てきました。私の母の母です。
行こうよ、行こうね。あたしたちを捨ててったお母ちゃんをこらしめてやろうね。
私は男物の軍服を着てパイロット帽をかぶり、馬に乗っていました。
娘は、母親が他の女の人と同じでおばあちゃんのような恰好をしていると思っていた。
それなのに兵隊がやってきた、怖がってなかなか私に抱かれたがりませんでした。」
「おみやげに石鹸を持っていました。当時は豪華なおみやげでした。
あの子の体を洗おうとすると、あの子が石鹸に歯をたてました。見たことがなくて。」

親衛隊中尉(一等飛行士)
「私は夫のあとを追って戦争に行ったの…娘は姑に預けたけれど、姑は亡くなった。
夫には妹がいて、義妹が娘を引き取ってくれた。
戦後私が復員しても、義妹は子供を返そうとしなかった。
「あんたに娘が育てられるはずがない、幼い娘を捨てて戦争に行ってしまったじゃない。
それで母親と言えるの?」
「でも私は義妹を恨むことはありませんでした。義妹は自分の兄が大好きだった。
とても強くて、ハンサムで、殺されるなんて信じられなかった。
義妹は兄の忘れ形見を手放したくなかったのよ、それしか残っていなかった。
義妹は、人生で何より大事なのは家族や子供だというタイプの女性でした。
爆撃があっても、子供を風呂に入れなかったことが気になる。
そういう義妹を非難することはできないわ。」
「彼女は私のことを残酷だ、と言ってた。「女の心を持っていない」と。
でも私たち、戦地でどんなに苦しんだか。家族も子供も奪われて。」
「私が戦争から戻ったとき、娘は7歳になっていました。おいて行ったときには3歳。
私を迎えてくれたときは大人になっていました。娘とは仲良しになりました。」

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