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2022年05月21日23:08

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ノートの写し283

〇もし目的へと続くはずの道で常に障害を乗り越える羽目になるならば、目的自体が他人のものか、または他人の扉を通って目的へと進んでいるかのいずれかであろう。人生で唯一大事であると思われるのは、自分の目的と扉を決めることである。他人の目的に向かっていっても一生を浪費し、何も得られないことがあり得る。すべての努力が水泡に帰し、失敗の人生であったと認めるほど悲しいことはない。
 コマは人々に必要なことを行うよう、それも当たり前のこととして受け入れるよう教え込む。義務感という固定観念は、人生は全員が勤め上げなくてはならない契機であるとか、全員が果たさなくてはならない労働義務であるというように、愚かしいところまで来てしまった。人は義務感に慣れっこになり、魂の本当の目的は時期が来るまでと言いう条件付きで意識の最果て部分に移される。だが、人生は終わろうとしても、その時期は一向に到来しない。
 幸せは未来のどこかで輝いて見える。偽りの固定観念はこう請け負う。そんな未来が欲しかったら、奪い取れ、働け、成し遂げよ。しばしば人々は懐具合を考えて、好きな事を諦める。物事は興味と仕事に分けられる。糧を得るためには仕事をせざるを得ない。偽りの目的を設定すると、義務がコマにとってのもう一つの手段となり、人を自分本来の道から遠くへ連れ去ってしまう。
 実は、興味が本当にあなたの目的であれば、それでたっぷり稼ぐことも可能なはずである。あなたの興味が収入をもたらさないという理由でそれを諦めなくてはならないのなら、その興味が魂の選んだ目的と関係しているかどうか、ハッキリ判断してみるべである。あなたは関係なければ、それが収入をもたらすとは言い切れない。しかし、興味があなたの目的そのものだと断言できるのなら、あなたの人生に快適さの属性が現れのを待とう。目的が扉と合致しているのなら、懐具合を心配する必要はない。もしその人が裕福になりたいと望むならば、すべてはそうなるからである。
 ところが義務感という偽りの固定観念は、あなたが自分の目的に全てをささげることをさせない。それを証明するたくさんの例がある。こんな変わり者がいる。彼は、みなと同じように、義務である必要な仕事をするため職場へ通う。そして、自分の自由時間を想像や発明に充てている。自分の作品が高い値で売れることなど、彼には思いもよらない。パン一切れのために忍耐強く働かなくてはならないという絶対的な確信をもって、貧しい生活に甘んじているのである。彼の興味は「魂のため」である。これがどういうことかわかるだろうか。彼は地主のために、自分の人生の大部分の時間を使って小作人として働いているわけである。生きるために必要だから、その人の魂にとって膨大な労働時間の後に残されたわずかな時間しか自由はない。いったいその人は誰のために生きているのか。地主のためか。
 もしあなたの目的があなたの扉と一致しているならば、あなたは自分の趣味で裕福になることが出来る。目的を達成すると、ほかの残りの願望も自然に表現される。それに、結果はどんな予想をも上回るものとなるだろう。この世界では、魂が関与して成し遂げられたことは疑いなく極めて高い価値を持つ。反対に、理性による作品は、理性がいかに純粋であろうとも、価値は低い。すでにご理解いただいたとおり、真の傑作は魂と理性が一致して誕生する。目的へと続く道の途中で、もしコマがあなたを道に迷わせなかったら、あなたは傑作を作り上げることだろう。そのためには、心静かに自分の道を進み、コマの罠に引っかからないようにすることが必要である。それはとても簡単なことである。そのうちにあなたは大きな成功を収めるだろう。
 もし目的と扉が一致していない場合は、少し複雑になる。この結論に至る前に、よく考えて見よう。あなたの目的があなたの人生をひどく困難なものにすることはあり得ない。それどころか、あなた本来の目的を選ぶと、それによって人生は順調なものとなり、山のような問題からも解放されるのである。扉を慌てて選んではいけない。所有する決意がありさえすれば、扉は見つかるだろう。もしどこに自分の扉があるのかハッキリわからないのなら、スライドを利用して快適域を広げよう。重要性を振り払い、目的達成の願望とは縁を切ろう。あなたが事象を所有する決意を持つことを思い切って自分に認めてあげたら、魂の意図があなたにふさわしい事象を示してくれるだろう。

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