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2022年05月10日23:17

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ノートの写し274

〇魂は、コマに熱を上げた理性が人生を台無しにする様子を眺めているが、自分では何も変えることはできない。理性はこの世界にやってきても、何をするべきか、何が欲しいか、何に向かっていけばよいか、ハッキリとは知らない。魂は、正確に走らなくても、少なくとも検討をつけることが出来るのであるが、理性は魂の伝えたいことを聞こうとはしないい。そこで魂たちは理性を自分の意思に従わせようとして、理性に自分の目的とゲームのルールを押し付ける。コマたちは人々が他人の目的を選び、他人の扉の前に群がるよう仕向ける。理性に影響を与え与党とする魂の弱々しい試みは何の効果もない。コマたちからの影響は、それほど強力なのである。
 私たちの多くは子供のころから、成功とは、たゆまぬ努力によってしか達成できないものだと教え込まれて来た。また、障害を克服しながら自分の目的を目指して粘り強く進む必要があるとも教えられてきた。そこにある最も大きな誤解の一つが、幸福を得るためには忍耐と我慢を重ねつつ戦い、たくさんの障害を乗り越える、すなわち、日の当たる場所を奪い取る覚悟が必要という点である。これは非常に有害な誤った固定観念である。
 この固定観念がどのようにして形成されたのか見てみよう。通常、人はコマの影響下に陥ると、自分本来の道から外れてしまう。当然のことだが、その人の進もうとする道には、障害が山のように積まれている。しかし、人は幸福をつかみたいから、山のような障害を乗り越えるしかなくなる。ここでその人は何を誤解していのだろうか。他人の扉を経由して、他人の目的に向かおうとしている点だろうか。否、答えは、あなたにとっても読者にとっても、またしても意外なものである。
 人が誤解しているのは「もし私が障害を乗り越えたら、その先には幸せが待っているに違いない」と思い込んであることにある。これは幻想以外の何物でもない。その先には幸せなど待っていない。どんなに頑張っても、いつもその人は沈もうとする夕日を追いかけるような状態のままなのである。他人の人生ラインでは、近い将来においても、遠く離れた将来においても、どんな幸せも待ってはいない。
 掲げた目的を大変な苦労をして達成した多くの人々は、無気力以外に何も感じてはいない。幸せはどこへ行ったのか。幸せなど、そこには始めから無かったのである。幸せだと思われたのは、コマによってもたらされた蜃気楼であった。コマはそうする事で、幻の幸せへと向かう途中の人間からエネルギーをもらうことが出来るのである。もう一度繰り返す。その先に幸せは待っていない。幸せは現在いる人生ライン上の今ここにあるか、それとも、全くないかのどちらかなのである。
 それでは事象選択モデルにおける幸せとは、いったいどこにあるのだろう。もし自分の目的を達成したなら、幸せはやってくるのだろうか。そうではない。幸せは、自分の扉を通って自分の目的へと進んでいる時にやってくる。もし人が自分の人生ライン上、つまり自分の道の上にいるのであれば、たとえ目的はまだ先にあろうとも、いま既に幸せを味わっている。そういう時、人生は祝日に変わる。そして目的が達成されたら、喜びは一段と大きくなることだろう。このように、自分の目的へと向かうことそのものが既に毎日を祝日に変えてくれる。他人の目的へと向かうことは、いつも祝日を幻の未来に預けておく事になる。他人の目的の達成は、幸せではなく、絶望か無力感しかもたらしはしない。
 あなたの目的は、あなたに本当の喜びをもたらす。それは一時的な満足感をもたらすものではなく、人生の喜びという感覚をもたらすものである。あなたの扉は、人の目的へと続く道である。あなたはその道の途中で幸福とインスピレーションを感じる。そこを進むと、いつもすべてが簡単に与えらられるとは限らいな。なにはともあれ、あなたの扉を通って進めば、無力感に陥ることはなく、逆に力がみなぎってくるのを感じるのである。
 もし自分の扉を通って自分の目的へと進んでいるのなら、障害を乗り越えることも容易で、苦労も大した負担にはならない。もし目的へ続くはずの道で、あなたが全力を傾けて苦労しても、インスピレーションがもたらされず疲れ切ってしまったのであれば、それは他人の目的へ向かおうとしているか、自分の扉ではないところへ押し入ろうとしているのである。そこで、他人の目的に向かって進む場合の特徴的な兆しとはどんなものか見てみよう。
 他人の目的に向かうことは、いつも自分自身への暴力であり、強制であり、義務である。もしあなたの目的と思うものの中に、たとえほんの少しでも強制力を感じるのであれば、勇気をもってその目的とは縁を切ろう。目的があなたのものならば、自分を説得する必要はない。目的へと進むことは心地よいからである。目的の達成プロセスは喜びをもたらす。ところが、他人の目的へと突き進むあなたは、たくさんの障害を乗り越えることになる。他人の目的へと続く道は、常に戦いの連続である。コマにとって必要なのは、皆が駒のメカニズム全体のためにねじくぎとしての仕事をきちんとこなしてくれることなのである。あなたにとってもつらい事だろうが、あなたはそれをやり遂げることだろう。なぜなら、コマはあなたに、すべては重労働によって与えられると吹き込んだからである「もしお前さんが気丈な奴なら、自分に打ち勝ち、自分の道から邪魔なもの排除し、たとえ火の中、水の中、お構いなしにくぐりぬて突き進み、日の当たる場所を勝ち取ることだろう。もしお前さんが気弱な奴なら、身の程ってものを知り、少し黙ってな」
 他人の目的は、流行や権威といった仮面で装う。コマにとってはあなたを他人の人生ラインへとおびき寄せる必要があるため、どんなことでもやりのける。人参はとてもおいしそうに見えなければならない。そうすると、理性は向う見ずに飛びつくという寸法である。コマはどんな場合でもあなたに「私のようにやってごらん」と強制できるとは限らない。そのため、スターたちの成功物語という伝説が作られた。あなた自身がそれを真似したくなるように。そうなるように、コマはスターたちが成功した方法をアピールする。他人の経験を繰り返してみるか、何も得ないままであるか、どちらかしかないというのである。あなたに成功をつかむ方法がわかるはずも無い。だが、コマは知っている。成功は目前だという。ところが、既に述べたように、スターたちが成功を手にしたのは、まさに「私のようにやってごらん」という手口に乗らず、自分の道を進んだからに他ならない。あなたが成功する方法は、あなたの魂のほかに誰も知らない。

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