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2022年05月01日00:15

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「日本のロック、フォークの名盤10選」全10回を終えて

「日本のロック、フォークの名盤10選」シリーズを
無事終えることができた。

10枚選んで、気づいたことがいろいろあるので
それについてまとめておきたい。

選んだ10枚は以下の通り。

岡林信康「わたしを断罪せよ」(1969年)
高田渡「ごあいさつ」(1971年)
浅川マキ「MAKI LIVE」(1972年)
中山ラビ「ラビひらひら」(1974年)
あがた森魚「噫無情」(1974年)
フリクション「軋轢」(1980年)
あがた森魚「乗物図鑑」 (1980年)
オシリペンペンズ「 Live お雪ちゃんは一人で走る気がする」
(2012年)
大森靖子「PINK」(2012年)
ホライズン山下宅配便「りぼん」(2012年)

日記「新シリーズ『日本のロック、フォークの名盤10選』を
始めるにあたって」の中で、

「幼少期からクラシックとイギリスのロックを聴いてきた
自分にとって、
歌謡曲をはじめとする日本のポップミュージックは
どうしても好きになれなかった。
はっきりいうと、音楽の質が低いと思ったのだ。
10歳の時に、姉が買ってきたクイーンの
「オペラ座の夜」(ほとんどリアルタイム)を聴いて
大きなショックを受けたのに対し、
日本の歌謡曲、ロックはつまらなくて
どうしようもないと思った」

と書いたが、
これは調べてみて、実際そのとおりだと思った。
1974年までは、浅川マキや中山ラビのように
東芝EMI、ポリドールといったメジャーレーベルから
優れたアルバムがわずかながら出ていた。

それが、1975年頃から、音楽がビッグビジネスとなり
それと同時に、音楽の質が著しく低下してしまった。
クィーンの「オペラ座の夜」は1976年の作品だから
その頃の日本のロック、ポップスがつまらないのは
両者を比較すればはっきりわかることだ。

岡林「わたしを断罪せよ」から、あがた森魚
「噫無情(レ・ミゼラブル)」(1969年〜1974年)の
5枚には、日本人らしい、優しい心や、
繊細な感性がよく顕れていると思う。

1977年頃、英米で大きなブームとなった
パンク、ニューウェーブが、日本においては
いまひとつ大きな盛り上がりとならなかったのは
パンクロックの激しい怒りや
ニューウェーブの冷たく、無機質な感覚が
温厚な日本人にはあまり馴染めなかったのではないかと
思われる。
それだけに、フリクションの音楽性は
個人的には強烈な衝撃であった。

Jポップ(1990年〜)は、いままで以上に
音楽のビッグビジネス化を狙ったものだが
音楽が空疎なのは、1975年以降の
日本のロック、ポップス同様だ。
この時代で、選ぶべきアルバムも
見当たらなかった。

2012年に、インディーズの名盤が
3枚もあるのは、
Jポップの凋落、というより
音楽業界そのものの凋落のなかで
売れることよりも、
自分たちのやりたい音楽をやるという
姿勢が優れた作品に結びついたのではないかと
思う。

この3枚を聴くと、Jポップのように
ポップでなければならない、売れなければ
ならないというのは、いかに音楽にとって
マイナスであるかということがわかる。
ポップでさえなければ、音楽はこれほどまでに
自由で、独特な個性を発揮できるのだ。

日本のロック、フォークの名盤を10枚選んだ
上で、今後の展望を予想すると、残念ながら
あまり明るい希望は見込めない気がする。
音楽業界は凋落の一途をたどる一方だし
コロナウィルスの過度の対策から
ライブハウスの経営も思わしくない。
メジャー、インディーズ、ともに
苦しい状況が続くことになるだろう。

その先どうなるか、それは
誰にもわからない。
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