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2022年02月27日18:27

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ノートの写し209

〇そろそろ事象の流れにカープがあるかもしれない事を示してくれるものがサインである。言い換えると、サインとは、人生の規則正しい流れに十分はっきりと感じられるような変化をもたらす事象の前兆のことである。もしあなたがたとえわずかでも何がしかのカーブを期待しているとしたら、そのことについて合図を送ってくれるサインが現れるだろう。もしあなたが避けたいと思っているカーブが迫ってきたら、やはり何らかの特徴的な差異が現れるだろう。では、特徴的とはどういうことを意味するのか。
 実は、事象の流れが曲がるときに、あなたはほかの人生ラインに乗り移るのである。乗り移る先のラインは、多少の違いはあるだろうが、人生の質という点では似たり寄ったりである事を思い出していただきたい。事象の流れの中にある小流はは、様々なラインを横断しているかもしれない。人生のラインは、パラメーターによってそれぞれに違いがある。変化は気付かないほどかもしれないが、とにかく違いが感じられる。この質の違いについては、ちょっと前と何かが違うというように、意識的にまたは無意識のうちにあなたは気付くのである。
 このように別の人生ラインへと移動が始まるときだけにサインは現れる。ここの現象に注意を払わなくても良い。例えば、カラスが泣いても、それがあなたに警戒心を呼び起こすことにならず、質的な違いを感じていないのであれば、つまり、あなたは依然として元の人生ラインにいるという事である。しかし、もし現象に注意を向け、そこに普段とは違うただならないものを感じたら、それはサインなのかもしれない。
 サインとは、本質的に異なる人生ラインへの移動が始まったことについて、いつも信号を送ってくれるという点で、普段の現象とは異なる。別のライへ移動した後、すぐに起こる現象は、通常、警戒心を引き起こすものである。なぜなら、ライン同士が互いに質的に異なるためである。こうした違いは、様々な特徴を持っていることもある。時には、はっきりした説明のつかない特徴もある。どこかそうではないような感じ、というようなものである。ラインの乗り換えが終わったら、私たちはこれを直感的に感じる。サインによって明確な変化を見つけることもある。私たちは、流れの中に何か新しいものが現れると、ちらりと目にするか、薄々感づくものである。サインは標識であり、何かが変化したとか、何かが起きていることを、私たちに教えてくれる。
 通常、今いる人生ラインで起こった現象は、警戒心を引き起こしたりはしない。それは今起こった現象が同じ人生ライン上にある他の現象と質的に同じだからである。とはいえ、人が周りで起こっていることの全てを無視すると、明確なサインにも気づかないことになる。本質的に異なるラインへの移動は、途中にあるラインを経由して、通常は段階的に行われる。途中にあるライン上におけるサインは、様々なレベルの限界警報として現れることがある。最初の警報を無視することはよくある。移動が続けられ、二回目の警報が出て、その後、三回目が発せられる。もしこの後も警報が止まらないとしたら、最終ラインで起こるべきことが起こるという事である。
 既に述べたように、サインを一つの解釈だけに絞ることは非常に難しい。あなたの注意を引き付ける現象がサインとなるかどうかについて、確信はあり得ない。しかし世界が何かを伝えたいという事を、参考までに受け入れることだけはできる。私たちに関心があるのは、迫りくる暗礁や早瀬である。先に何が持ち構えているのか、ヒントだけでも貰いたくなることが時々ある。そんなときは「はい」や「いいえ」という具合に、両方の極性のどちらかを帯びた答えを得られるような質問を作ってみよう。例えば、うまくいくか否か、間に合うか否か、やりおおせるか否か、良いか悪いか、危険か否か、等々である。サインの解釈は「肯定的」または「否定的」という答えにつながるヒントにまで簡略化させる必要がある。だが、高い精度を期待してはならない。

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