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2022年02月01日03:48

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佐倉紀行30 大聖院 / 麻賀多神社

 1月5日水曜日は、武家屋敷見学の後、西へ進んで真言宗豊山(ブザン)派大和田山大聖院(ダイショウイン)明王寺を訪れました。
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 鎌倉時代初期に創建され、当地方15ヶ寺の真言宗豊山派寺院を統轄しています。
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 本尊の木造大日如来坐像〔佐倉市指定文化財〕は檜材の寄木造(ヨセギヅクリ)で、目は玉眼、像全体に漆箔が施されており、頭部には髷(マゲ)がなく宝冠を被っています。製作年代は不詳ですが、前方観に優しい像容を持つ鎌倉時代末期の様式を示しています。光背と台座は共に後世に補われた物ですが、像本体の保存状態は良好です。
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 佐倉七福神巡りのうち大黒天と布袋(ホテイ)の担当です。
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 佐倉藩刀鍛治の細川忠義(1815〜70)墓です。
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 忠義は名刀工と謡われた細川正義の次男で、下野(シモツケ)国宇都宮藩鹿沼で生まれ、21歳で江戸へ出て津山藩江戸屋敷にて正義と共に鍛刀に励み、26歳の時に父と一緒に松平家津山藩のお抱え刀工となりました。
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 その後、35歳の時に佐倉藩へ藩工として迎えられ、此の地で生涯を過ごしたのです。
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 大聖院の西方には竹林の中を抜けるひよどり坂が伸びています。
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 大聖院の北方には稚産霊命(ワクムシビノミコト)を祭る麻賀多(マガダ)神社〔郷社〕があります。
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 上総国・下総国の前身となった総国(フサノクニ)の「総」とは麻の事であり、古来、麻の生産地として知られた地域でした。『先代旧事(クジ)本紀』によると、人皇第15代応神天皇〔位;270〜310〕が神武天皇九世孫の伊都許利命(イツコリノミコト)を印波国造(インバノクニノミヤツコ)に任じて香取海(カトリノウミ)南岸地域の統治を委ねたとされ、その子孫の印旛国造多(オオ)氏が代々祀って来たのが当社です。即ち、当社の名前は「麻の国で多氏が賀す神社」の意味なのです。
 江戸時代になると神社の西方に土井利勝が佐倉城を築いたため、当社は城の追手門近くに鎮座する形となり、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の城主・家臣に篤く崇敬される事となりました。
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 現在の本殿〔佐倉市指定文化財〕は天保14(1843)年に佐倉藩主堀田正睦が新造した物です。
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 少彦名神(スクナヒコナノカミ)を祭る末社の疱瘡(ホウソウ)神社です。佐倉七福神巡りの恵比寿担当です。
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 伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)を祭る摂社の三峯神社です。佐倉七福神巡りの福禄寿(フクロクジュ)担当です。
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 戊辰戦争の際に徳川方で参戦した佐倉藩士二名を顕彰した両士記念碑です。
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 義烈之碑と忠勇之碑です。
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 義烈之碑は戊辰戦争から日清戦争までの戦争に出征した佐倉出身者の慰霊顕彰碑で、題字は堀田家世子(後に伯爵)の堀田正恒(ホッタマサツネ)の筆です。
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 忠勇之碑は日露戦争で出征した佐倉出身者の慰霊顕彰碑で、題字は最後の佐倉藩主である堀田正倫(ホッタマサトモ)伯爵の筆です。
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 当社は社宝として紫裾濃胴丸(ムラサキズソゴドウマル)〔千葉県指定文化財〕を所有しています。
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 鎌倉時代末期から室町時代に至る明珍(ミョウチン)家一族が製作した各パーツを文化14(1817)年に佐倉藩主堀田正愛(ホッタマサチカ)が自らの鎧として各部分を集めて修復し、堀田氏の家紋を裾金物その他に配し、威(オドシ)を紫裾濃に統一して一領の甲冑に仕立てあげた物で、各部分に平安時代の大鎧を意識した復古的な形式が見られます。
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 銅製釣灯籠や銅印も佐倉市指定文化財となっており、秋祭りの際に行われる佐倉麻賀多神社神輿渡御(ミコシトギョ)は佐倉市指定無形民俗文化財となっています。
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 当社は、美術工芸家として初の文化勲章を受章した香取秀真(カトリホツマ;1874〜1954)おいたちの地〔佐倉市指定史跡〕でもあります。
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 秀真は、千葉県印旛郡船穂村(現;印西市)で生まれ、5歳の時に麻賀多神社宮司郡司秀綱の養子となって17歳で佐倉集成学校を卒業するまで佐倉で過ごしました。その後は1900年のパリ万国博覧会で銀賞碑を受けるなど国際的に活躍、東京美術学校教授を務める一方、アララギ派の歌人としても知られました。
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 麻賀多神社から少し北へ行くと、大正時代に立てられた佐倉町道路元標があります。
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 麻賀多神社から裏新町通を東進すると山口家住宅〔佐倉市登録文化財〕があります。
 https://www.google.com/maps/@35.7190564,140.2285373,19z
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 道路に面して東側の店蔵と、西側の袖蔵と二つの蔵が接続して並んでおり、袖蔵の創建は棟札により明治29(1896)年10月と判明しています。店蔵は後の増築と考えられています。袖蔵は意匠に優れており、敷居の傾斜により自動的に閉まる潜り戸があるなど、当時の大工の創意工夫が垣間見られます。
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 佐倉市中心部散策はここで切り上げて翌日に回し、前日に時間切れで行けなかった師戸(モロト)城跡へ行くため、京成成田駅1535時発の西馬込(ニシマゴメ)行快速電車に乗り込みました。車両は3400形です。
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 1540時着の京成臼井で下車しました。運賃はIC割引で189円です。
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 京成臼井駅北口1550時発の大成交通宗像(ムナカタ)線印西牧の原(インザイマキノハラ)駅南口行バスに乗って、印旛沼に架かる船戸大橋を渡り、1555時着の印旛沼公園で下車しました。このバスはここまでノンストップでした。ここは印西市になります。
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《続く》
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