学生時代、私は“難しい本にこそ重要な情報が記されている” と考え、これらの本をよく読んだものだ。
しかし、社会に出て働き出すと、単純な現実にこそ真理があることに気づく。
ヨハネの福音書8章32節にあの有名な一句「真理は人を自由にする」がある。
確かに真理は人を自由にする。でもほとんどの人は真理には目を向けない。
重要ではない難しいことをあれこれ考えては、大事なことを知ったつもりになっている。
そもそも、真理は人気がない。
言う人と言われる人の間に信頼関係がなければ、真理は悪口になるか、苛立たせる言葉になるか、それともうぬぼれを引き起こすだけであり、人を自由にはしない。
日記に真理を書いても、読む人の大半は “美しい夢を壊す嫌な人” と感じる程度だろう。
本当に大事なことは小学校6年生の言語能力があれば理解できる言葉で表される。
“破滅への道は善意で敷き詰められている”
これは革命家レーニンの言葉だ。
“真理を知る者は自由になる” が、真理はあまりに耳触りが悪い。
だから人は真理から遠ざかり、不自由になることで、社会を成り立たせている。
前回の日記 “野球部” で書いたことだ。
なぜ難しい言葉でグタグタ議論し、真理が分かった気になるのか?
それは、本当の真理から逃げ、偽の真理らしいものにすがっているからだろう。
でも中には、考えすぎてノイローゼになってしまう人もいる。
これでは本末転倒である。
私の書く真理は小学生でも理解できる真理ばかりだ。
もっと難しい真理を書けば、人気者になれるのかもしれないが、真理は難しい言葉で表した途端に、真理ではなく “まやかし” になってしまう。
“真理は自分の中に持ち、外には出さない方がよいのではないか?” と感じる。
人が真理を知りたがらないことは、社会にとってはよいことでもある。
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