人生は自分で選択しているようで実は道筋が決まっている。
その隠された道筋を探し、それをたどっていくのが人生。
今の人は「自分が過去にした選択によって今の自分がある」と言う。
しかし、それは誤っている。
自分がそんな選択をしてしまった背景には、自分の置かれた状況があり、変えることのできない個性がある。
自分が ”何かしたい” と願っても、自分の希望だけでできるものではない。
自分の選択が将来の自分をつくるのではない。
自分の選択が神の意志に沿った時だけ、その願いはかなうのである。
人生の構築とは神との共同作業であり、神なくして人は何もできない。
自分の人生の道筋を考えず、自分の思いだけで人生の選択を重ねれば、いずれ破滅する。
結局、自分の人生は、自分の人生ではあっても、自分の自由にはできない。
今のコロナ・パンデミックはでっちあげのデタラメだが、昔はたびたび、本物の感染症パンデミックに襲われた。
3人に1人が死亡するような恐ろしい病気で生者と死者を分けるのは、その人の選択ではなかった。
そんな時、人は真実を自覚し、神にすがる。
昔も今も、基本的には変わらない。
神を信じ、不幸な時は苦しみ、幸福な時は楽しみ、そしてあの世に召される時は、ジタバタせずあの世に召される。
”自分でどうにかできる” と考えジタバタしてしまうのは、物事を悪くするだけ。
自分が考えなければならないのは、今、自分している選択が自分の進むべき道からはずれていないだろうかということ。
人間、誰もがいつかは死に、神の御前に立つ時が来る。
”人は教育によって作られる” 信仰から、自分の考えを押し付け、自分が納得いくような人間にならないと怒りだす人がいる。
そういう人は地獄の業火で焼かれるだろう。
自分に自分の人生があるように、他人には他人の人生がある。
教育とはツールであり、自分の人生を歩むためのアイテム。
それによって人生が形作られるわけではない。
不幸な時は苦しみ、幸福な時は楽しむ。
自分を責め原因を追究してもしかたない。
ただありのままに受けとめ、心を乱さないことが大事だと思う。
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