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2021年11月17日11:55

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障害者の議員が、なぜ増えると思っているのだろうか。

現実的な訴えをするのであれば、

障害者の為の政策を訴える候補者が、何故増えないのだろうか。

という話からなのではありませんかね。
そもそもの話、何人の障害者が立候補して、どの位の割合で当選すれば納得するのでしょうかね?
先日、同様の話で、女性議員が何故増えないのかという話がありましたが、そもそもの女性議員の立候補者の数と当選確率の話を横に置き、単純に人数が少ないという話しを推しだす事をおかしいと思わない段階で、女性差別や障碍者差別ではなく、優遇措置をしろという話しに聞こえてくるわけですよ。

建前の話になりますが、国民は、その立候補者が掲げる政策に対して投票するわけですよね。
言ってしまえば、国に益のある政策や、自分にとって利となる政策を掲げる候補者政党に投票するわけですよ。
女性は、約半数居るわけですから、女性に利する政策を掲げれば、女性票を集められるかもしれませんが、それが極端な政策なら、男性の票を失うのは自明の話だと思うわけです。
障害者の方が、障害者の為の政策を打ち出すのは当然でしょうが、それが国の益や多くの国民の利する政策に繋がらなければ、誰も投票できませんよね。

単純に、そういう話なのではありませんかね?

ただ、極端に障害者に偏った政策であっても、障害者の票が集まれば、当選は可能なはずなんですよね。ですが、政治家って、恐らくそんなに楽な仕事ではないとおもうんですよね。国会議事堂をバリアフリーに改装する予算がどのくらいか分かりませんが、そこにその費用を掛けるのなら、他に当てて欲しいと思う人も少なからず居ると思うんですよね。

なら、現実的な話は、冒頭申し上げたような話で、障害者の為の政策を掲げる健常者の議員を立候補させる話なのではありませんかね?

ですが、障害者による障碍者の為の政治を目指しているのではなく、一個人として、国の政策に関わりたいという思いからの立候補であるのなら、あとは、その政策の中身だと思いますよ?
当選しないのは、その政策の中身の問題なのではありませんかね。
人を引き付けるような、何かを期待させるような内容に至っていないだけの話だと思いますよ。
不覚ですが、今回の山本太郎氏の演説にはうっかり票を入れてしまう程のものを感じました。
障害者が、自分に障害がある事を言い訳にし始めたら何もできないのではありませんかね。
周囲の問題もあると思いますが、

出来ない事がある人

という認識を周囲も当人も受け入れなければ、何も変わっていかないような気がしています。
足の遅い人、絵が下手な人、スポーツが苦手な人、音痴な人、料理が下手な人、障害が、そういうカテゴリーの一つに収まるような社会になれば、もう少し違った考え方や意見が出るのかも知れませんよね。



■障害者の議員、なぜ増えないのか 当選への壁は「特別視」
(朝日新聞デジタル - 11月17日 10:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6743315

障害者の議員が全国でも数十人にとどまっている。10月の衆院選でも、当選者は車いすの立憲前職(比例東京ブロック)一人だった。なぜ増えないのか。2019年の千葉市議選に無所属で立候補し落選した、筋力が徐々に低下する難病「筋ジストロフィー」の当事者で、電動車いすで生活する渡辺惟大(ただひろ)さん(34)に話を聞いた。


     ◇


 ――2019年に千葉市議選に立候補したきっかけは。


 12年にNPO法人を設立し、障害者の大学進学支援や市内のバリアフリー関係の活動に取り組んできました。14年には訪問介護事業所も立ち上げました。そのなかで、さらに活動の幅を広げ、自分が議員になって現状を変えたいと思うようになりました。


 実際に立候補の準備を始めたのは19年1月です。初めての、無所属で挑む選挙だったので、当時は全て手探りでした。以前無所属で立候補した方のブログなどを見て情報を集めました。



 ――障害があるという理由で直面した困難は。


 私が乗れるスロープつきの選挙カーがないので、父の車を改造して即席の選挙カーに仕立てました。ポスターを貼ってスピーカーを積んだだけなので、他の候補者とすれ違っても気づかれないほどでした。


 また、私は介護者なしで一人で駅頭に立つことができません。でも、私が利用している重度訪問介護という公的サービスは、基本的に政治活動などに使えないのです。


 結局介護者にはボランティアで一緒に立ってもらいましたが、その間の給料は支払われないのでハードルが高かった。他のボランティアの方々の都合などもあり、平日は朝2時間、夕方2〜3時間ほどしか選挙活動ができませんでした。


 ――大学時代の友人が手伝ってくれたそうですね。


 チラシ配りやポスター貼りなどで力を借り、知り合いも紹介してくれました。


 在学中は通学やトイレ介助などで困難もありましたが、政治学を学び人との出会いにも恵まれました。その後の人生が大きく変わったという実感が、現在の障害者の進学支援活動にもつながっています。



 ――議員になって変えたかったことは。


 市内のバリアフリー情報を発信しようとした際、ある商業施設から「行政が関わっていないならば協力は難しい」と言われました。


 また、私自身の経験や訪問介護事業所の利用者の状況から、家族介護には限界があることがわかりましたが、制度などがあまり知られていないと感じました。


 障害などで難しい状況にある方に関心を持ってもらえるよう行政や社会を変えていきたいと思いました。


 ――市議選では2155票獲得も、候補者12人中12位で敗れました。


 無所属で1回で当選するのは難しいようです。知名度をどこまで高められるかが重要ですが、お金の問題があります。供託金は何とか用意しましたが、お金があればもっとチラシを刷ることもできたと思います。


 ――19年参院選では3人の障害がある国会議員が誕生しました。


 大事な一歩です。でも、障害者の政治参加は当たり前だという認識が広がり、様々な政党から立候補できるようにならなければ。例えば、れいわ新選組と考えが合わない障害者は参加できないのではないでしょうか。



 ――今回の衆院選で障害者議員は大きく増えませんでした。


 やはり障害者が政治家になるにはハードルが高い状況が続いています。まだ仕方がない部分もありますが、障害がある候補者や議員が特別視されています。障害者が福祉以外の役割を期待されることがほぼありません。


 ――選挙で障害をどこまで前面に出すかという葛藤はありましたか。


 最初は市内の文化財や観光などにも触れていましたが、有権者の声を聞いて、障害者政策をより強調するようにしました。障害だけでなく幅広く多様性を訴えはしましたが。


 障害者が障害者のための政策を訴えるだけではだめなのかなと思っています。障害者議員が増えるためには、障害者が一般の人と同じ一人の国民だと見なされるようにならないと厳しいのではないでしょうか。(聞き手・上保晃平)


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