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2021年11月03日06:54

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プラスチック製の丈夫で美しい食器に,大いに期待致します

 こういう製品を待っていたのだ。僕はそのように声を強くして申し上げたい気分です。

 皆様はどのような食器をお使いでしょうか。大概の場合は陶磁器かガラスだと思います。今お茶を飲みながらこの文章を書いている僕が使っているのは金属製のコップですが,これは例外的な存在で,我が家の食器も殆どは陶器かガラスで出来たものです。

 その陶磁器もガラスも,残念ながらあまり頑丈な素材ではありません。落とすと簡単に割れてしまいます。そのリスクを回避するために子供向けの食器はプラスチックで出来ていることが稀ではありません。プラスチックは余程乱暴に扱わない限り割れることの無い,耐久性に長けた素材です。
 日用品にとって耐久性が極めて重要であることは論を俟ちません。美学者の柳宗悦は論説「雑器の美」で「一般の民衆が用ゐる雑具」を雑器と称し,その雑器について「毎日触れる器具であるから、それは実際に堪へねばならない。弱きもの華やかなもの、込み入りしもの、それ等の性質はここに許されてゐない」と言っていますが,この基準に照らせばプラスチック製の食器こそが彼の言うところの「不断遣ひ」に最適なのではないか。そう考えることは充分に可能です。しかし,実際にそのような事例を見ることはまずありません。家庭でもそうですし,まして食堂であれば安価な定食屋でも無料サービスの水ですらガラスコップで提供されることが多く,まして米飯や料理については陶磁器の食器を使うのが一般的です。何故でしょうか。端的に言えば「あまりに美しくないから」ということに尽きるでしょう。この記事に的確な答えが記載されています。「量産の仕組みで生まれた樹脂製品は基本的に金型を用いられるため、無機質な形状のものが多い。材料の均質が『是』とされてきた世界だけに、ムラのない質感のプロダクトがほとんどである。結果的に個別差が生じずにコピーしたような表情とな(る)」と。そのようなものが好まれないのはある意味当然でしょう。柳はこのことを「機械が人を支配・・・作られるものは冷たく又浅い」「機械には決定のみあつて創造はない」と的確に言い表しています。
 無論,金型を使って大量生産されること自体がプラスチックという素材そのものの責任というわけではありません。プラスチックで手工芸を行うことは絶対に不可能かといえば,そうとは限りません。現に人工樹脂を素材に手工芸で作られたアクセサリーは珍しくありませんが,実はプラスチックとは人工樹脂のことであり,両者は基本的には同じものです。しかし「ならばプラスチックを素材に手工芸で『不断遣ひ』を作れば問題は解決するのか」といえば,それはあまり現実的でも効果的でもないように思われます。実は今日においては陶磁器もガラス器も型を使って機械で大量生産されており,その点ではプラスチック製品と全く同じです。にも拘らずそれらは安物扱いされず,一方でプラスチック製品の食器は安物扱いされる。もはやプラスチック製品には「安物」というスティグマが押されてしまっているのだといえるでしょう。仮に手工芸でプラスチック製の食器を作り,それ自体は美術品として高く評価されたとしても「何故,こんなことをしたのか」と不思議がられて終わりになってしまう可能性も否定出来ません。そもそも手工業で作られた高級品を使いたいならばそういった陶磁器やガラス器は幾らでも存在します。また仮に僕の予想が外れて手工業で作られたプラスチック製品が陶磁器やガラス器同様に高級感のある食器として評価されることに成功したとしても,それは当然に高価な品物になってしまい「不断遣ひ」になることは非常に困難なのではないかと思われます。

 それでは耐久性に長け,しかも美しく高級感のあるプラスチック製品を広く普及させることは不可能なのでしょうか。僕は以前から「そうではない」と思っておりましたが,石川県金沢市の株式会社雪花と同県加賀市の石川樹脂工業株式会社による取組を知って,やはり僕の考え方は正しかったと感じているところです。
 両社の開発している食器も,やはり型を使って制作されています。それでは駄目なのではないか・・・というのは早合点で,先に触れた「個別差が生じずにコピーしたような表情」にならないための様々な工夫が行われています。具体的には色合いに味を持たせるために「形成した製品に意図的に色ムラを発生させ、工芸品のような表情を持たせる」といった工夫を行い,また形状についても「原型として石膏でブロックをつくり、理想的な凹凸量を意識して、自然界にある造形をモチーフに手加工によって凹凸形状を作成し、その原型を3Dスキャンすることでデジタルデータに取り組む」といったことを行っています。これらの工夫によって製品に手作業で作られたような風合いをどの程度与えられるのかは直ちには判りませんが,記事によれば「造形はこれまでの方法では到底生み出すことのできない有機的なフォルム」「自然にできるムラと掛け合わせ、大量生産の樹脂製品には現れないような自然な佇まい」とあり,是非実際に観てみたいと感じさせられます。

 実は「機械で大量生産される製品に,いかに自然な美しさを盛り込むか」という課題に取り組んだのは,株式会社雪花や石川樹脂工業株式会社が最初ではありません。他ならぬ柳宗悦の長男である柳宗理もその先駆者です。宗理はインダストリアルデザイナーでした。機械で作られる日用品について「或る種の美は生れてこよう」とはしつつ「それはいつも規定の美に止まるであらう。単なる定則は美の閉塞に過ぎない」と否定的な評価を下した父に対し,実際に機械で作られる製品のデザインを職業としていた息子は事実をもって「必ずしもそうなるとは限らない」と応えました。「紙と鉛筆だけでは、デザインの基本的発想も、美しい形態も出てこない」として自ら轆轤を回し石膏を彫って作った試作品を実際に使ってみるといった方法で「既定の美」に留まらないデザインを作り上げたのです。父の警告を踏まえ「美の閉塞」を避けるために最大限の工夫を行った宗理の努力は成功し,彼の手掛けた「硬質陶器シリーズ」「バタフライ・スツール」「ステンレス・カトラリー」などはその実用性のみならず美しさで現在まで高い評価を得続けています。

 美しさや温かみを感じさせるプラスチック製品を作ろうという株式会社雪花や石川樹脂工業株式会社の試みの背景にある精神は,柳宗理の取組とよく似ていると感じます。強く壊れにくく,そして人々を魅了する美しさを持つプラスチック器の登場を僕は心から喜ばしく感じます。実際にそうした取組の賜物として制作されたプラスチックの食器を手に取ってみたいと願うとともに,両社の取組の今後ますますの進展を心から期待しているところです。



樹脂の持つ美しさを引き出し、永く使える、使いたくなる食器を創る
https://aras-jp.com/blogs/journal/ishikawajyushi
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