mixiユーザー(id:28135846)

2021年07月09日23:28

239 view

なんでこんな曲をわざわざ聴きに来るんだろう、僕は・・・関西フィル定期

どこまでいっても、好きになれない曲。それでも、なぜ僕は聴きに来るのか?

大阪 ザ ・シンフォニーホール
関西フィル第321回 定期演奏会
高関 健指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団
(コンサートマスター 岩谷 祐之)
クラリネット:梅本 貴子(関西フィル首席奏者)
ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番 ヘ短調 作品73
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 作品65

ウェーバーは初めてコンサートで聴く曲。でも、どこかで耳にしていて、特に二楽章の美しい旋律が魅力的。ソリスト、オケとも弱音が綺麗に響いて、結構楽しめました。

それでほっこりした後に、耳をつんざく轟音交響曲を聴く事になるんだもんなあ。よく考えられたプログラム、と言うべきなんだろうか?

正直言って、この曲、一楽章の間中、そこら中で軋む狭音程や、耳に突き刺さる管楽器の奇声、爆裂する打楽器群なんぞを聞かされ続けて、吐き気を催す人がいてもおかしくないんじゃないかと思って聞いてました。まるで、延々と続く悪夢を見ているよう。まあ、それが戦争というものだ、という事なんだろうけど。コーダになってイングリッシュホルンが長い長い独り言を喋り始めて、やっと目が覚めたように感じました。

2楽章は戦時の躁的高揚感のカリカチュア、三楽章は砲弾の炸裂する戦場を駆け抜ける兵士たち、その頭上で巨大な爆発が起こった後、4楽章は累々と死骸が横たわる凍てついた大地。5楽章はそんな中であっても、ささやかな心の支えで耐え忍ぶ民衆の心、不安に引き裂かれそうな日常の中で、ふと歌が、旋律が口をつく。

高関さんは、この曲を冷徹なまでに徹底的な読みで振り抜く。フォルテはどこまでも強く、ピアノはどこまでも弱く。むしろ、余計な感傷が一切入らないが故に、暴力、理不尽、恐れ、怒りという人間のネガティブなエネルギーが、裸形のまま解き放たれる。その何という凄まじさ。

関西フィルは、その能力のギリギリまでの奮闘ぶり。余裕のよ、もなかったかも。結構破綻も耳についたりしたが、まあそれが逆にこの曲の暴力性を際立たせていたかもしれない。

こんな辛い曲を何度も取り上げる高関さん、外見からは想像もできないパトスを抱えておられるのかなあ。どうして、何回もやろうという気になるのか、一度お聞きしたいです。ただ、結局僕もこの曲をわざわざ聴きに来るのは、何かこの曲なりショスタコに対してモヤモヤしたものをかかえているからなのかもしれない。

今日は、もしかしたら初めて、心をニュートラルにしてこの曲を聴けた、稀有な機会だったかも。でもやっぱり、ショスタコは嫌い、です。



3 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年07月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031