公共交通機関は、基本的に誰でも利用できるべきだ。
「常に」とは言わない。
利用者に不便があるとき対応すればいい。
もし、「障碍者は利用できません」と利用規約に書いてあれば
それは「公共」交通機関ではない。
人が障碍者になるのは、本人が望んだことではない。
たとえスピード違反でパトカーに追われて事故った挙句だとしても、
同じことをやっても障碍者になる場合とならない場合がある。
望んでなれるものでなし。
病気や不慮の事故や、事件に巻き込まれるとか、
いろんな場合があるだろうけど、どれも本人がやろうとしてやってない。
つまりいつ誰がどんな形の障碍者になるかわからない、ってこと。
新型コロナと似てますな。
自分の周囲に感染者がいないからって、自分が絶対に感染しない保証はない。
感染したとしても、それがたとえばマスクつけない飲み会の結果としても、
同じことして感染してない人もいるわけで、
医者から見たら「ばーか」と思うけど、感染したくてしたわけでないのはわかる。
話をもとに戻す。
今元気な人が一瞬後に障碍者になることもある。
そのとき、行きたいと思ってた旅行をあきらめなくてはならないのか?
参加したいイベントに行くのをあきらめるのか?
なんで?
やりたいことはやっていいんでしょ?
障碍者には旅行が許されないなんてありえないでしょ。
じゃあやりましょう。
もちろん準備や下調べは必要だけど、
「階段しかないの?じゃああきらめます」なんて考えなくていいんです。
だって相手は「公共」交通機関なんだから。
こういう考え方は、自分には納得できる。
障碍者なんだから遠慮しろ、
健常者のお情けにすがって生きろ、お情けがないときはがまんしろ。
そういう社会にしてしまうのは、いつか自分の首を絞めることになると思う。
■車いすでの無人駅下車は「わがまま」? 問題提起した障害者にバッシング 奪われていく移動の自由の権利
(AERA dot. - 06月04日 08:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=6542281
ログインしてコメントを確認・投稿する