mixiユーザー(id:29675278)

2021年06月02日17:00

141 view

【ブックレビュー】古代懐疑主義入門

古代懐疑主義入門
(副題)判断保留の十の方式
ジュリア・アナス
ジョナサン・バーンズ著
金山弥平訳
岩波文庫

 現在の日本で懐疑主義というと、他人を信用しない、猜疑心が強い、という悪いイメージがあるかもしれません。また、日本では古来より、騙す方が悪い、騙される無垢さは美徳、という見方もあると思います。ただ一方で、疑う事を忘れてしまうと、家族からの電話だと信じ込んで大金を失ったり、ネイチャーに論文が載っただけで大騒ぎして恥をかいたり、というハメになります。
 そこで大切なのが物事に対する懐疑的な姿勢です。哲学での懐疑主義はどちらかというと実生活から乖離した思弁的な行為が多いような印象ですが、本書で扱う古代懐疑主義は生活に密着していて実践的なのが特徴です。


・・・・・
 何であれ与えられた問題に懐疑的であるとは、それに関して判断を保留すること、すなわち、肯定と否定のいずれにせよ、どんな断定的な意見にも承認を与えないことである。懐疑哲学は、人間が行う諸々の探究行為のかなり広汎な領域にわたって、たぶんその全領域にまでわたって、疑い、判断を保留するように勧める。若干の問題については、どんな人でも懐疑主義者である。というのも、少なくとも一時的にはわれわれが決定できず、判断を保留することになる問題はたくさんあるからである。この日常的態度を、懐疑哲学者は拡張し、一般化し、体系化する。
・・・・・P12〜P13


 これが本書における、懐疑的・懐疑哲学の定義です。価値観が多様化して世界中の人が情報を発信している渾沌とした現代でしたらなるほど必要かなという姿勢ですが、古代懐疑主義は紀元前からの歴史があるので驚きです。人間や人間社会の複雑さは昔も今も大差ないという事でしょうか。


 懐疑主義の祖とされるピュロンが書物を残さなかったため、弟子等を通じて伝えられた資料から、「十の方式」を考察しています。アレクサンドレイアのピロン(ピュロンとは別人)、セクストス・エンペイリコス、ディオゲネス・ラエルティオスの3人の書物の翻訳・解釈・批判を中心として、プラトンやバークリやロック、デカルトやカントといった著名な哲学者達も登場します。


 興味深い所を挙げますと、昨今議論のテーマとなっている「人間の多様性」です。


・・・・・
同じ風が、ソクラテスには冷たいものとして、テアイテトスには温かいものとして現れる。(中略)「ではその場合に、風はそれ自体として冷たい、とわれわれは言おうか、それとも、冷たくない、と言うことにしようか」というソクラテスの質問に対して、ピュロン主義者の側では「いやわれわれは、それが冷たいとも冷たくないとも断言しない」という懐疑主義の答えがすでに用意されている。(後略)
・・・・・P165


 本書ではこのような感覚や認識の多様性だけでなく、近親相姦や性行為の公開といった倫理面での多様性も何度も出て来ます。ペルシア人フリーダム過ぎるだろ。多様性の克服という点では、おそらく相対主義が主流だと思います。上の例では、ソクラテスは冷たく感じる・テアイテトスは温かく感じる、みんな違ってみんないい、という論法ですね。懐疑主義では冷たいとも冷たくないとも断言しない、という点が相対主義との違いです。

 もうひとつ面白かったのが、「混合」です。


・・・・・
 しかし、外部からの混入については、これくらいにとどめておくとして、われわれの目には、それ自身のなかに膜や水分をもっている。したがって視覚の対象は、これらのものなしには観取されないのであるから、正確には把握されないことになるであろう。なぜなら、われわれが認識するのは、混合の結果なのであり、またこのゆえに、黄疸患者にはすべてのものが黄色に見えるし、目の充血した人には血のように赤く見えるのである。
・・・・・P290 ※「外部から」に傍点


 口内には唾液があるのだから、食物のみの味を知る事は不可能だ、という例も同様です。人間の認識は全て、表象(現れ)を知覚するのであって、物事の本質を直接知る事はできないという姿勢が徹底しています。ヨーロッパの認識論の王道とも思えますし、科学論の観測者問題を想起もしますね。この部分はセクストスからの引用です。2〜3世紀頃の医師だそうです。

 吹き出してしまったのはP282の水中では屈折して見えるオール(何度か出てくる例です)のトリックです。ネタバレになるので書けませんが(笑)。


 古代懐疑主義が何を目指したのかは、以下の通りです。


・・・・・
懐疑主義者はもともと、諸々の表象(現れ)を判定して、そのいずれが真であり、いずれが偽であるかを把握し、その結果として無動揺(平静)に到達することを目指して、哲学を始めたのであるが、けっきょく、力の拮抗した反目のなかに陥り、これに判定を下すことができないために、判断を保留したのである。ところが判断を保留してみると、偶然それに続いて彼を訪れたのは、思いなされる事柄における無動揺(平静)であった。
・・・・・P437


 本書冒頭では、真実を発見したと考えるアリストテレス派等のドグマティスト、把握不可能であると表明した派、そして探究を続ける懐疑派、というセクストスの分類を挙げています。ここで重要なのは、懐疑派は判断を保留してそのままではなく、「どこまでも探究を続ける」としている点です。対立する価値観を抱えたまま思考停止するわけではないのですね。


 本書は最後に、古代懐疑主義と現代の懐疑主義を比較した上で、「いずれが真実により近いかという問題について判断を保留するように導かれるのである。」と結んでいます。メタ判断保留ですか(笑)。


 引用を読んでもお分かりかと思いますが、とても平易な言葉で書かれています。翻訳者の力も大きいのでしょうが、著者が、古代懐疑主義を通しての哲学の入門書として執筆したという姿勢も素晴らしいと感じました。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年06月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930