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2021年01月04日09:36

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元日を振り返るの日

毎月一日に法螺を書いて数年経つ。
その中で、病気に関する話を書くと心配する人がいること、
心情を揺らす内容が有ると法螺と分かった時に怒る人がいること、
じゃあ自分にしときゃいいかと思って自分をネタにすると
心配した末に怒ってしまう人がいること、
などを経験した。

万単位の不特定多数が読んでくれる場ならかえってそれでも
良かったのかもしれない。
私のやり方の場合、直接の知人友人も読んで、SNSでその反応を
私に伝えることができる。
赤の他人が私のことをどこか遠く知らないところで心配したとしても
そりゃあまさに知る由も無いのだが、
知人友人が心配したと知ったら私も少々申し訳なく思う。

申し訳なく思うようなことはしたくない。
では心配かけないような内容を書こう、と思う。
ところが、ちょっと心配するような出来事を盛り込んだほうが、
物語というのは面白いものなのだ。
道に迷って帰れなくなったとか、お爺さんが病気で死にかけとか、
事故に遭ったが出会いも有ったとか、一億人に一人の珍しい病気とか、
おしっこが出て出て止まらないとか。

このブログでは日頃、自分の日常の中から、
出来事や考えた事や作ったものについて書いている。
そういう場で法螺をやろうとするから、
信じさせてしまって心配させたり怒らせたりする。
法螺は法螺と分かっている場でやったほうが安全だ。

フツウの新聞が毎月一日にウソの記事を載せたら、
人々は慌てる。
四月一日だけだって、慌てる。
それはやっぱり、人騒がせだ。
だったら、『虚構新聞』という場を作るべきだ。
ってなことになったんではないか。

とかなんとか色々考えているうちに
ちょっと筆が萎縮してしまった。
それで、この正月馬鹿を終えたら、毎月の法螺をやめよう
と考えていた。

けれど、そんなことでやめられる法螺癖じゃないのよね。
黙ってらんない。
ホントウはウソがつきたくてムズムズしている。

解決策の一つとしては、
おっと
解決策を書いたら、後々の法螺が面白くなくなっちゃうな。
と、続ける気がやはり有る。



もう一つの解決策として、
「一ヶ月毎日法螺を書いて、【もういいわ!充分だわ!ってか無理!】
という気分に自分をさせる。」
という案も有る。
2月ならできるんじゃないか。
大の月に較べたら、一割も日数が少ないのだから。

と、きれいに導入して、一月一日に書いた法螺の解説になだれ込む。

[あらすじ] 1月1日から毎日の番号を振っただけのカレンダーを使っている。
閏年であることを忘れていたので、2020年の大晦日を2021年の元旦と勘違いして、
大晦日にいろんな人に新年の挨拶をしてしまった。
グレゴリオ暦において2月が28日しか無いのは、閏年に増やす分を事前に凹ませているからである。
400年に1度は2日増やすため、28と2日分も凹んでいるのである。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/4b12ddfb7285e8574ec747f2f14511c2

以上、全部嘘である。
易をちょっとやるのは本当だ。
鍼灸をやるのは本当だし、鍼灸を全うするためには運気論が必要なのも本当だ。
だが私はそういう鍼灸をしない。
曜日と1〜365だけのカレンダーなど、使っていない。
旧暦のカレンダーも使っていない。
グレゴリオ暦の2月の日数が少ないのは、以前はそこが年末だったからである。
閏年は4年に1回だが、それだと増え過ぎになるので、
400年に1回は閏年にならない。

そうだった。
そう言やあ、2000年は閏年にならず、「400年に1度は無いんだってー」
「へー、そのタイミングに生きてるってすごーい」とかなんとかいう
会話をさんざんしたような気がしなくもない。



自分の法螺に書きながら、
旧暦で生活してみるのもいいかもしれない、と思った。
季節の変化を暦とともに感じることができそうだと思う。

暮れに触れたニュースが有る。
https://www.jma.go.jp/jma/press/2011/10a/20201110oshirase.pdf
1953年から続けてきた、季節の遅れ進みを知るための指標とする
植物34種目、動物23種目に関する開花や初鳴きなどの観測の多くを中止し、
植物6種目9現象のみにする、というのである。
https://www.data.jma.go.jp/sakura/data/index.html

私はサボりながら十年日記をつけている。
十年日記の主な目的は、庭の手入れや、野鳥の飛来に関する記録だ。
気象庁も70年近くやってきたが、
観測地点の環境の変化により、樹木が保たれず、動物も見られなくなってきているので
継続できない、という理由のようだ。

日本の自然環境はピンチのようだ。
我々の、自然現象に対する感覚も、
動植物の減少と並んで危機に瀕しているだろう。

地元深大寺は都内でもまだまだ環境の良いほうだ。
けれど、新しい家々は気密性が高く、
室温の調整には窓の開閉ではなくエアコンを使う。

人間の身体の仕組みは、十年、百年、千年単位程度では、変わらない。
我々の身体は、原始時代に培った力をもって、生きている。
一方で、環境は人間の手によって、千年、百年、十年単位で改造されている。
住みやすく造っているつもりが、住みにくくしてしまっている面も付随してきている。



嘘から出た真、
法螺から出た思索。

明日は正月二日の法螺を振り返ります。
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