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2020年10月26日10:59

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京都の思い出、祭り寿司、瀬戸大橋。

京都に住んでた頃、
ある日実家に帰った帰りに、岡山駅で祭り寿司を買って
当時働いていた料理屋の家族に土産です、と渡した。
岡山県では、祭り寿司は普通にあるし家でも作るもので、そんなに珍重されてるわけではない。
なのだが、そのあとで、家族の人たちにすごく喜ばれ
「あれ美味しかったわあ」と皆に言われた。

和食屋であるから、けっこう美味い物を食べていて、寿司もちらし寿司も作っているから
生魚もある、、たまに食べてる、、のにもかかわらず、それが旨い旨いと言う。
所かわれな品変わる、で、そんなに喜んでもらえるのか、それくらいで、そんなに、と
驚いたことがある。

まあ、そこは山科だったので、近所に大きなスーパーやら百貨店も全くなかったので、「〜物産展」とか、まだ、「駅弁大会」とかやってなかった時代でもあったので、
地方の駅弁は、珍しかった時代でもある。

で、私も自分で料理やってても、たまに弁当を買って
味を楽しむのではなく、どれくらいのレベルかな、と思いながら
食べるときもあるし、
よその地に行くと、味は想像できてたが、こりゃ美味いとおもった名物も
多々あるが。 

ーーーーー

ある日帰郷したら、うちの父が、「瀬戸大橋が出来たから観に行こう」と言われ
私の運転で四国に渡った。その思い出も、検索で1988年だったとわかる。

その時、八十八か所の一番近い寺に行き、
そこで御札だったか、お守りだったか、を買って
京都に帰って、料理屋の女将さんに、「お土産です」と渡した。
その家は、真言宗だ、とは知っていて、
同じだからいいだろう、と渡した途端、
女将さんの目が飛び出るほど、驚いて、
「いやー、××ちゃん、ありがとうなぁ、、よお行って、
気付いてくれたなぁ、うわー、嬉しいわあ」
と、そのお守りだったかを、手に取って、じーーーーっと見続けて、
感謝された。
、、これも祭り寿司の時みたいに、え、そんなに喜ぶの?
とこっちは思わなかったので記憶してる。

、その家族には子供が居たので
慰安旅行も兼ねて、いつも夏は従業員の私たちも
色々連れて行ってはもらってた、
しかし、さすがに京都から四国は遠いのである。
まあ、瀬戸大橋が開通する前の時代だったし、
京都からは、かなりの距離である。
で、その料理屋も、そんなに裕福な家ではない、
でも、女将さんは、ほんとは行きたかっただろうと想像する。
あとで知るが、
代理参拝(略して代参)というのがある。

その女将さんには、
私はそれほど当時、真言宗やら八十八か所など知らずの頃、
京都駅の裏にある、東寺の弘法市には連れて行ってもらったり、
お盆が始まる前に、京都の人が行く、祇園界隈に近い場所にある
なんとか寺の、先祖の霊を夜中に迎えに行く行事にも
ついて行って、施餓鬼絵とか見せてもらったりで、
ええ経験させてもらったのである。

それやこれやの京都の思い出、
こき使われたこともあるし、嫌なこともあったが
京都内で働くだけでなく、京都の色々な慣習に地の人との交流で触れられた
20歳代だった。

うちに来た女性客と、たまたま話していると
大学時代に京都に居たが、
その4年間を過ごしてこちらに帰った後
「あー、あそこ行っておけばよかった、なんで住んでた頃にいかんかったんやろう、
惜しいことした、」という気持ちがいっぱいあった、とかで。


東寺の弘法市に連れて行ってもらった時、
境内の中にたくさんの、歴史ある寺建築物がある中のちひとつの周りに、「お砂踏み」という催しをしている。
野球のベースの大きさくらいか、に砂を敷いて、その砂を踏む、
で、それは四国の八十八か所の寺の境内の砂を取ってきて入れているそうである。
で拝みながらその砂を踏んでいくと、
八十八か所廻ったことにしてあげます、って仕掛けである。
行った時、その店の親方もついてきた。
で、そこの前を歩いてると、
そういう仕掛けだとおしえてもらったのだが、
その親方が、えらくじっと見て、気にしてる。
で、若い女性たちが、並んで踏んでいたから。
でもそのうち、なぜか笑って、、で私に教えてくれた。、、
「見てみい、、ありゃあ、おかまさんや」
つまりゲイバーに勤められる方々の女装した集団だったのである。

それみてた親方は、女将さんに「もう、、行くよ」と注意されて。

でも、きちんと信心深く、手を合わせて拝んでたのを覚えてる。


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