わぁ! デートじゃない! ふたりはもうつきあってたの?」
「あのね、今は小学生でもつきあうなんて言葉を使うようになったし、高学年にでもなったら実際につきあってる子もいるんだろうね。けど、ぼくたちのころはね、小学生でつきあうなんてことは考えられなかったし、そう中学生でも3年生にはいくつかカップルがいるかな、という程度だったのよ。そんな大昔の話なんだよ」
「ふーん。みんな幼かったのかな?」
「そうかもしれない。もしかしたら逆に今よりもう少し大人だったのかもしれないけど」
「うーん、ちょっとわからない」
「ま、ともかく、お祭りに行こうかと言っても『ふたりで』なんてことは言えないし、『夏祭りに一緒に行ってみたりして』とか冗談めかして誘ってみただけさ。デートするなんて気持ちもつきあうなんて気持ちもさらさらなかったよ。て言うか、そんなことは自分にはあまりにも遠い話で思いも寄らなかったな」
それでも渡されたメモにはお祭りに行くことが書いてあるのだと思った。そのとき初めて、ぼくはクーちゃんが言ったような言葉、デートだとかつきあうとかっていうことを現実に自分に起こりうることとして認識した。簡単に言えばその気になってしまったのだ。
「あとで読んでね」
メモに添えられたそんなひと言がぼくの心をどんなに搔き乱したことだろう。ぼくは帰宅するのももどかしく、家に飛び込んで淡いブルー(だったと思う)のメモ用紙を開いた。
そこには如何にも圭子さんらしい丁寧に整った文字でこう書いてあった。
「私たちにやきもちを焼いている子がいるの。もちろん女子よ」
ぼくにはうまく事態を飲み込むことができなかった。「私たち」という文言には心が弾んだけれどもそれにやきもちを焼いている女子って、どういうことだ? それはつまり誰かがぼくを好きでいるということなのか?
もしそうだとしたら、圭子さんがそれをぼくに告げるっていうのはどういうことなんだ? 単なる情報告知なのか、それとも、だから私たちはちょっと控えましょうということなのか、多分圭子さんの人柄から考えてありえないだろうけど、私もあなたが好きなのよということなのか、メモの短い文面からは、何故圭子さんがこんなメモを渡してきたのかということも含めて何も読み取ることができなかった。短いメモはあまりにも寄る辺なかった。だから半世紀以上も前のそんなメモの文言を今でもそっくりそのまま憶えている。正に、初恋だったのだ。
(挿絵 匿名画伯)
【作中に登場する人物、施設等にモデルはありますが、実在のものとは一切関係がありません】
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