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2020年08月23日00:18

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立山黒部紀行4 富山地鉄立山線

 19日水曜日は、地鉄富山駅0704時発の309普通電車で立山駅へ向かいました。
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 乗車券は1230円でした。
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 車両は14760系です。
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 車内はセミクロスシートでした。
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 富山地方鉄道立山線は本線寺田駅と立山駅を結ぶ24.2kmの全線単線の直流電化路線です。
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 立山線の前身は立山軽便鉄道で、大正2(1913)年に現在の本線にあたる滑川(ナメリカワ)―五百石(ゴヒャッコク)間が開業したのが始まりでした。当時の軌間は762mmで、上市口(現;上市)―五百石は現在とは別路線でした。
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 大正6(1917)年に立山軽便鉄道は立山鉄道と改称し、大正10(1921)年3月には五百石―立山(現;岩峅寺付近)間を開業させました。
 一方、岩峅寺(イワクラジ)から先は富山県営鉄道が常願寺川の治水と電源開発のために敷設した路線の一部です。県営鉄道は大正10(1921)年4月に現在の上滝線に当たる堀川新(現;南富山)―上滝間、同年8月に上滝―岩峅寺間、同年10月に岩峅寺―横江(後の上横江;現在は廃止)間が開業しています。
 県営鉄道は、大正12(1923)年に横江―千垣を開業させ、昭和2(1927)年に全線を600V電化しました。
 他方、立山鉄道は昭和6(1931)年4月に富山電気鉄道へ合併され、同年8月に寺田―五百石間3.7kmが軌間1067mmの1500V電化路線として開業しました。昭和7(1932)年には上市口―五百石間は廃止され、昭和11(1936)年に五百石―岩峅寺が1067mmへ改軌されて、1500V電化も行われました。同時に立山駅も廃止され、隣接する県営鉄道岩峅寺駅への乗り入れが開始されています。なお、富山電気鉄道は昭和16(1941)年に富南鉄道の富山―堀川新間の買収も行っています。
 県営鉄道の方は昭和12(1937)年6月に全線を1500Vへ昇圧させ、同年10月に千垣―粟巣野(アワスノ;現在は廃止)間を開業させましたが、昭和17(1942)年に千垣―粟巣野間を日本発送電に譲渡しました。
 昭和18(1943)年元日に富山電気鉄道・県営鉄道・日本発送電の鉄道は国策で合併させられ、富山地方鉄道が発足、旧富南鉄道区間を含む電鉄富山―粟巣野駅間が立山線(電鉄富山―稲荷町間は本線との単線並列)、寺田―岩峅寺間が五百石線と呼ばれる事となりました。
 同年6月には旧富南鉄道の稲荷町―南富山間が電化され、昭和21(1946)年には本線との単線並列区間である電鉄富山―稲荷町間も電化され、南富山経由で電鉄富山―粟巣野間の直通運転が開始されました。
 昭和29(1954)年4月に立山線の小見(現;有峰口)―粟巣野間が立山開発鉄道に譲渡され、同年8月に粟巣野―立山仮駅間が、昭和30(1955)年に立山仮駅―千寿ヶ原(現;立山)間が開業しています。
 そして、昭和37(1962)年に至って小見―千寿ヶ原が富山地方鉄道に譲渡され、昭和44(1969)年に路線名変更が行われて、五百石線が立山線に編入され、旧立山線稲荷町―南富山間を不二越(フジコシ)線、南富山―岩峅寺間を上滝線と呼ぶこととなり、寺田―千寿ヶ原間が立山線と呼ばれる現在の体制が確立したのです。これは電鉄富山駅―千寿ヶ原間の列車を上滝経由よりも速達可能な寺田経由に変更した事に伴う措置でした。
 昭和46(1971)年に立山黒部アルペンルートが開通すると立山線は一躍脚光を浴びる事となり、国鉄のスキー列車が立山線へ乗り入れを開始します。
 その後、国鉄の急行〔立山〕〔むろどう〕や名鉄の急行(後に特急)〔北アルプス〕等の乗り入れも行われて盛況を呈しましたが、名鉄は昭和58(1983)年、JR西日本は平成11(1999)年を最後に乗り入れを廃止、平成22(2010)年には富山駅構内のJRとの連絡線が廃止されて直通運転は不可能になってしまいました。
 現在、電鉄富山―立山間の〔立山〕、宇奈月温泉―立山間の〔アルペン〕等の有料特急の運行も行われています。
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 さて、私の乗った普通電車は意外に混んでいましたが、二人掛けクロスシートを確保出来たので車内で爆睡を続け、立山駅には0716時の定刻よりも5分遅れで到着しました。
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《続く》
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