35年に渡って親しんできた広島国際アニメーションフェスティバルが、広島市の方針で今回を最後に、アニメを含むメディア芸術の総合文化芸術祭に変更されることが明らかになった。突然のことに戸惑いを禁じ得ない。
広島アニメフェスは映画祭であると共に、かけがえのない「場」だった。
アステールプラザの3つのホールと展示会場だけでなく、上映前後にたむろするエントランスやロビー、プログラムにない持ち込み上映やセミナーを知らせるチラシがベタベタ貼られた階段とエレベーターホール、作家持参の掘り出し物が並び、突然サイン会が始まったりする物販ブース、地元のパン屋さんやお好み焼きの出店、久里洋二さんが釣りに興じておられる裏の川、出没するラッピー。会場近くの憩いのカフェ・バッケンモーツァルト、小走りで通うコンビニ、壁一面に作家のサインが描かれたオーティスの店内、ちょっと張り込むイタリアンレストラン。コンペの後に集う居酒屋やカラオケ、海辺のピクニック、地元のパーティー。それら周辺まで全部を含めた2年に一度のお祭り。上映会だけではない映画祭ならではの触れ合い。かけがえのない時間。それが広島国際アニメーションフェスティバルだった。
初開催から35年の歳月をかけて育んでこられたフェスティバルディレクター木下小夜子さんはじめ関係者の方々に心からの感謝を。私はもう十二分に恩恵をいただいたけれど、これからの人たちにも、その「場」が残っていますように。
後続のTAAFや新千歳のアニメーションフェスティバル、東京や京都の国際映画祭にも行ったけれど、広島とは趣きが違う。
広島の、会場に一歩足を踏み入れた途端の、ここにいる全員が仲間、という一体感。プログラムを上映しておしまい、というのとは違う映画祭ならではの感覚。出入り自由な各ホールと良い感じの客の入り具合、場内に光が入らないように扉を開け、暗い中を席まで案内してくれる係の人、一人でも多く座れるように塩梅してくれる心遣い。それは広島ならではの温かさ。ミニシアターやシネコンを使う他の映画祭とは違う、アステールプラザ全館を使うからこそ可能になった「場」。開会式や受賞式閉会式の一般公開も実は広島ならでは。だから、受賞作と作家をより身近に祝福出来た。毎日、大会速報誌が発行されるのも大変なこと。コンペの上映作品ごとに作者・タイトル等をアナウンスしてくれるのも今のところ広島だけだ。広島の「当たり前」は他には存在しない。市はもっと誇っていい。
勿論、広島アニメフェスにも改善して欲しい点はある。「広島メソッド」と呼ばれる上映作品の選考方法は妥当かどうか。昨年が特に顕著だったけれど、国別特集のような極一部の専門家以外には困難なプログラム。日本人作家の存在感の少なさ。変動する世界の動きを隔年開催で追えているのかどうか。
国際映画祭という性格を考えれば、広島市が気にする市民への浸透は大きい問題ではないと思う。国際平和都市広島という舞台を提供しているくらいに大きく構えてもらえれば良いのだが難しいか。
市への経済的見返りならば大多数の観客が利用する全日通し券の価格を何なら倍に上げてもらっても良いくらいだった。あれは本気で使うととんでもない数のプログラムを享受出来る。この辺は検討されたのだろうか。
既に木下小夜子さんが降板され、次回からの総合文化芸術祭への変更は確定のようだ。いつまでもこのままの形で続くとは思っていなかったけれど、もう今まで通りの広島アニメフェスが戻ってくることはないと思うと悲しい。まして今回はコロナ禍で通常の開催が不可能になったというのに、これでおしまいとはやるせない。
コンペは継続するようだが、国際コンペを名乗るには幾つかの条件がある。小夜子さんが日本支部代表を務め広島アニメフェスの共催だったASIFA(国際アニメーションフィルム協会)と縁を切った広島が果たして維持出来るかは疑問だ。市が掲げる次回からの総合文化芸術祭も茫洋として現時点ではつかみづらい。
だからといって下を向いてばかりでは仕方がない。もしかしたら、良き人材が後を継いで新体制を立ち上げ、積み上げた長所はそのままに、観客に寄り添ったプログラム編成の、アートとエンタメが融合した、新しい国際映画祭が生まれるかもしれない。懸案の長編コンペも実現するかもしれない。毎年開催も夢ではないかもしれない。
私はそろそろ高齢なので真夏の広島にいつまで通えるか分からないけれど、大鉈を振るった広島市、第二の故郷とも言える市の更なる英断に期待することにする。
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