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2020年06月04日11:26

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橘  2020年02月27日16:13


花橘
今回は、厳密に言うと本歌取りには入らない歌がほとんどなのですが、
一つの有名な古歌からいろいろな歌が生み出された例ということで、
調べましょう。
もとの歌となっているのは、『古今和歌集』夏の読み人知らずの歌です。
〔例14〕
  五月〔さつき〕待つ 花橘〔はなたちばな〕の 香〔か〕をかげば
     昔の人の 袖の香〔か〕ぞする
読み人知らずという歌は、誰でも知っていて昔からずっと伝わっている歌で、
その時代でもまだ現役の歌ということです。誰が詠んだのか分からない
下手な歌ということではありません。
「五月」は陰暦の五月ですから、今の暦で言うと六月頃になります。
そろそろ梅雨、あるいは、もう梅雨に入っている頃です。
「花橘」は花の咲いた橘で、橘は温州みかんよりは小さめの実をつけ、
陰暦の五月ごろによい香りのする白い花が咲きます。
「昔の人」は、以前親しくしていた人や、亡くなった人を指します。
「袖の香」は、袖に焚きしめていた香のことです。
「陰暦の五月を待っている花の咲いた橘の香りをかぐと、以前親しく
していた人が袖に焚きしめていた香の香りがする」という内容です。
香りや匂いが記憶を呼び起こす力というのは、なかなかのものがありますね。
入梅の前後ですから湿気が高くなっていて匂いが立ちます。
橘の花の香りが漂ってくると、ふとあの人のことを思い出すという
ことですが、読み取りようによったら、なかなか色っぽい歌です。
 **
さて、この歌がもとになって詠まれた歌は、まず、『新古今和歌集』夏の
藤原俊成〔しゅんぜい:1114〜1204〕の歌です。
〔例15〕
  誰〔たれ〕かまた 花橘に 思ひ出〔い〕でん
     我も昔の 人となりなば
「ほかの誰が花橘の香りをかいで思い出すだろうか。私も昔の人となって
しまったならば」という内容です。
もとの歌は、橘の香りをかいで以前の人を思い出しているという内容
なのですが、この〔例15〕は、自分が死んでしまって、
「昔の人」になってしまった後のことを詠んでいます。
自分が故人を偲んでいるように、自分もまた偲ばれたいということです。
 **
次は、同じく『新古今和歌集』夏の慈円〔じえん:1155〜1225〕
の歌です。
〔例16〕
  五月闇〔さつきやみ〕 短き夜半〔よは〕の うたたねに
     花橘の 袖に涼しき
五月闇は五月雨の降るころの真っ暗な夜を言います。五月雨は、
陰暦の五月雨ですから、今の梅雨のことです。陰暦の四月五月六月が
夏ですが、夏の夜は短いです。
「五月雨が降る短い夜のうたたねから目が覚めると、橘の花の香りが
袖に匂って涼しい風が吹いている」という内容です。
「短き夜半のうたたね」ということですから、ほんのわずかな間、
うとうとしたのでしょう。「五月」「花橘」「袖」という言葉が
ありますから、もとの歌にある「昔の人」の夢を見たと考えて
よさそうです。
うとうとして、「昔の人」の夢を見たのですが、涼しい風にふと
目覚めて、袖には橘の花の香りがしているという、夢と現実が
重なっている、なかなか優美な歌です。きっと、恋人の夢
だったのでしょう。
作者の慈円は、比叡山延暦寺の住職で、天台宗の一門を統括する
立場の人だったのですが、ずいぶん色っぽい歌も詠んでいることがわ
かります。
 **
もう一つは、『新古今和歌集』夏の藤原俊成の娘
〔:1171?〜1252以降〕の歌です。
〔例17〕
  橘の にほふあたりの うたたねは
     夢も昔の 袖の香〔か〕ぞする
「橘の花の匂う辺りでうたたねをすると、夢までも昔の人の
袖の香りがする」という内容です。
前の慈円の歌と同じ内容の優美な歌です。女の立場で詠んだ歌
とすると、「袖の香」は男の袖の香りなのでしょうか。
〔例14〕の歌がもとになって、いろいろな歌が生み出されて
いることが分かります。もう一度、引用しておきましょう。
〔例14〕
  五月〔さつき〕待つ 花橘〔はなたちばな〕の 香〔か〕をかげば
     昔の人の 袖の香〔か〕ぞする
 **
ということで、「昔を思い出させる橘の香り」が前提となった
いろいろな連想の歌のついでに、もう一首。『新古今和歌集』夏の
藤原家隆〔:1158〜1237〕の歌です。
〔例18〕
  今年より 花咲きそむる 橘の
     いかで昔の 香〔か〕に匂ふらむ
「今年から咲き始めた橘が、どうして昔の人の袖の香りがする
のだろうか」という内容です。
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