mixiユーザー(id:12593070)

2020年04月30日20:39

58 view

傷だらけの天使を放送していた頃!

■傷だらけの天使を放送していた頃!

ショーケンと水谷豊のとっぽいコンビが展開する物語が面白かった。探偵物語と似たようなテイストだったと思う。傷だらけの天使のオープニングのギョニソを食べるシーンが印象に残っている。高校3年の頃だったと思う。

ラグビーを夢中でやっていたので、勉強をマジメにやったことがないので、3年生にもなっちゃて、東京都予選だ、花園だと意気込んでいたけど、周りはみんな受験モードだ。運動部だってみんな引退して受験勉強体制に入っている。

進路の受験相談に呼び出されても、こいつ勉強するつもりないなと見抜かれてしまって、どうせ体育推薦だろ、とマジには相談に乗ってくれない。参考資料の全国模試の結果を見て、早くラグビーを止めて受験勉強すれば、付属の大学は行けるし、他大学の合格の可能性があるから、教官に言ってやろうかと、受験組への参加を誘われた。

一応教官に声をかけてもらうとどうなるのかに興味があったので、言ってもらうことで話がついた。密かに付属の大学じゃないし、体育教官が思っている体育大への進学でもない、美術系の他大学への受験を考えていたのだ。親父にも言えない進学先だった。

体育教官やラグビー部の顧問の先生から、進学どうするんだという声がかかるようになった。いよいよ体育大への進学のプレッシャーがかかりそうだったので、他大学の受験の可能性を匂わせる進路指導の先生からのお声がけは、いい牽制球になってくれた。

教官にはお世話にはなったけど、学生の進学先なんか自由なはずだからね。休みのない部活だからアルバイトもしたことがないので、いつかやってみたいと思っていた。ちょうど親父の会社が高校生と大学生のインターンを募集していたのだ。

地質調査のコンサルタント会社だから、アルバイトは何をやるのだろう。しかもインターンは1日に高校生で1万円、大学生で1万5000円もらえるのだ。これに応募して参加が認められた。大学生は就職先の有力候補となる。入社試験の時に有利になるらしいから、必死で仕事に取り組んでいる。

僕は高校生だから、社会体験や、こういう仕事があるんだくらいのお気軽参加だった。ラグビー部の練習もさぼれるし、東京へ出られるし、お小遣いだってもらえるのだから、茗荷谷へ通ってインターンにチャレンジした。

現場へ連れて行かれる前に会社の制服をサイズ選びして、門前仲町駅で降りて、お台場の船の科学館方面へ向かった。東京のゴミで埋め立てられた夢の島はこんもりした丘になっていた。僕らの現場は新夢の島の隣だった。まだ造成地にもなっていない、海をコンクリートの壁で仕切ったばかりの沼地だった。

プレハブの中で着替えて黄色いプラスチック製のいわゆるドカヘルが渡された。次は黒い小さな手帳と物差し、それに測量用のポールと、三脚についた測量用の望遠鏡だった。それに東海大の海洋学部の大学院生の相棒を紹介された

仕事は岸壁の先にあるベンチマークから。今のフジテレビのビルのあるあたりまでの埋立地の測量だった。今歩いて見るととんでもない距離だった。100m進んでは測量ポールを垂直に立てて、軽く前後へ動かして最高地点の数値を手帳に書き込み、さらに100m測量ポールを移動して、望遠鏡を180度動かして、望遠鏡をのぞいて、最高点を読み取って、これを何kmも繰り返して、測量しながら引き返してくるのだ。

測量を終わってから検算の方法を教わって、測量してきたベンチマークの標高に2cmくらいの誤差があると、測量のやり直しになるのだ。だから一回の測量がマジに取り組むようになる。三脚の立て方、測量ポールの垂直や、前後への動かし方も慎重になるし、望遠鏡の180度の動かし方も慎重になる。

マジに怖かったのは作っている最中の首都高速道路にかける橋の橋桁の測量だった。まだ橋の柱が3本立っているだけで、コンクリートの20m以上ある柱のてっぺんにベンチマークがあって、測量ポールを背中に背負って、はしごで上がるのだ。落ちたら死ぬぞと気合を入れられて上った。フィジテレビのビルを見ると思い出す。

そんな測量の毎日を過ごしていると、ロケバスがやってきて、リヤカーをショーケンが引いて、水谷豊が入ったドラム缶を乗せて、撮影が行われた。傷だらけの天使でインフルエンザで死んだ死体を夢の島へ捨てにくるシーンだった。今じゃオーシャンフロント呼ばれている場所は、東京のゴミで埋め立てられた上に、土砂を乗せて作られた土地で、僕の初めてのバイトの場所です。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する