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2019年08月10日01:07

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高畑勲展

(一部を除き文中敬称略。展示の紹介内容も日記の容量があるので省略があります)
7月27日(土)。
シネ・リーブル池袋から竹橋の東京国立近代美術館「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」へ。
竹橋は学生時代の最寄り駅で懐かしい。台風の余波で風が強い中を美術館へ。
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下の写真は展示場内外の撮影可のところ。
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土曜日といっても夕方なので、人もそう多くない。
バッグを備え付けのコインロッカーに預け、手提げにメモ帳、シャーペン、スマホ、お金少々の身軽な恰好で入場。
メモ帳には事前に図録に載っていた図版や資料類を作品毎に書き出してきた。これと実際の展示を照らし合わせるのだ。
音声ガイドを借りて中へ。声は中川大志。大塚康生、小田部羊一、友永和秀、男鹿和雄、山本二三など所縁のスタッフのインタビューも聴ける。
なんとも言えず気が急いて、とても平静でいられない。
入口が『かぐや姫』の十二単をあしらってあるとか、入ってすぐも『かぐや姫』で飾られているとか、確かに見ているのに、この間テレビの『新美の巨人たち』で見るまですっかり忘れていた。

最初のコーナーは遺作となった『かぐや姫の物語』から逆に並ぶ年譜。これはいきなり初期の馴染みのない作品から始めるより入り易かろうとの主催者側の配慮であるらしい。
展示資料も『ナウシカ』関連資料(ノート)、『ドラえもん』企画書のための覚え書き、『(旧)ルパン』最終話の絵コンテ(『“黄金の大勝負”又はあっけない終章』とサブタイトルが書かれている)と一般に馴染み深い作品が並ぶ。

公私に渡る様々な写真が散りばめられたアーチをくぐるとそこは「きっかけとしての『やぶにらみの暴君』」のコーナー。高畑にアニメーション映画の道へ進むことを決意させたポール・グリモー(仏)の長編。
「アニメーション映画で思想が語れるんだ、思想を思想としてでなく物に託して語れるんだ」との高畑の言葉も紹介されている。高畑の作家人生はこの実践だった。
モニターで名場面の抜粋映像も繰り返し流れ、初心者にも優しい作り。

その先がいよいよ「第1章 出発点 アニメーション映画への情熱」。
入って左に東映動画入社直後に書かれた幻の企画『ぼくらのかぐや姫』の構想ノート。
黄ばんだワラ半紙の山が4つ、東映動画スタジオの印のある横長の用紙の山が6つ。なんという量。
この展覧会の企画自体は高畑の生前からあったというが、大きく動いたのは、逝去後に大量の未公開資料が発見されたこと。その量ダンボール18箱分というから驚く。
それにしても『かぐや姫』に始まり『かぐや姫』で終わった作家人生とは何という。
この時点で既に絵巻への言及があることも注目だ。構想の内容は鮮烈で、竹取の翁が姫を愛するあまり最後に殺めてしまう結末のメモさえある。

その右側にはこれも未公開資料、高畑がノンクレジットながら初めて東映長編に演出助手として関わった『安寿と厨子王丸』。私的に今回の目玉のひとつ。
入社当時の高畑の様子は、先輩方の鉛筆を削っていたという本人の回想くらいしかないので、興味あるところ。
展示されているのは絵コンテの一部。第一稿改訂版から安寿の入水シーン。高畑の特徴的な文字でカメラの指示などが書き込まれ、安寿のアングルも変更されている。
『安寿』は藪下泰司・芹川有吾共同演出(=監督)で、この安寿の辺りは哀切な演出的特徴から芹川監督の手になるのではと思われる。
終生、芹川監督を師と呼んでいた高畑が、どのような形で『安寿』に関わったかの検証の糸口となる発見だ。両者とも既にこの世にないので、高畑の独自の変更なのか、芹川監督の意向を受けてのものかは断定できないが、細かい演出的拘りが伺える。
私は、安寿の入水自殺と白鳥への転生は『ホルス』のヒルダの死と再生につながるのではないかと仮説を立てている。死と再生をどのようにして観客に納得してもらい、受け入れてもらえるものにするかを高畑は熟考した筈だ。その端緒だけでも伺えるのは有り難い。

『安寿』の隣は『わんぱく王子の大蛇退治』。きちんと演出助手としてクレジットされた最初の長編。演出(=監督)は芹川有吾。
最初期の『虹のかけ橋』から変遷する題名を刻んだ脚本数点と、『日本神話 虹のかけ橋』と題された絵コンテが丸ごと(傷みあり)。これは激しく中を読みたい!高畑監督と関連つけて出版されないものか。
展示は、スサノオとクシナダの通称空中デートの絵コンテから1枚。芹川が当時の高畑の働きぶりについて語った言葉も引用展示されている。

反対側には『狼少年ケン』から担当話数の脚本、AR台本、絵コンテ、挿入歌の楽譜などが展示され、高畑の音楽的素養が伝わる。彦根範夫(現・ひこねのりお)作画による『誇りたかきゴリラ』は絵コンテに合わせて実際の映像も流れる立体的な展示で分かり易い。

このコーナーの次はいよいよ『ホルス』。床から壁にかけて大量の複製メモが貼り込まれた部屋から当時の熱気が押し寄せる。スペースも広く、資料も膨大で、未公開資料の山に心底圧倒される。図録に掲載されている図版や資料はほんの一部に過ぎず、全貌はとてもここには書き切らないので、興味を持たれた方は是非実際に確認してほしい。森さんの描くヒルダもある。スケッチ風の鉛筆の線がなんとも言えず素敵だ。こうした絵に日々接していると、アニメーターの描く線をそのまま画面に反映させたいと思うのはむしろ当然。『ホルス』では、それが従来のハンドトレスからゼロックスの導入になった訳だが、後の『山田くん』や『かぐや姫』の表現も当然の帰結だと思う。自らは絵を描かないけれど、誰よりも絵を理解し、絵の力を引き出し、その可能性に挑戦し続けた作家人生。いつか、この面からの論を書いてみたい。
図録にも掲載されてはいるが、実際の香盤表やドラマのテンションチャートが幅1メートル以上もある巨大な物であることに驚く。
宮崎駿、奥山・小田部はじめスタッフの名入りの提案書も多く、自身の初監督作品へのスタッフの自主的な参加を求め、そのために内容を共有しようと努めた姿勢と意欲、それに全力で応えたスタッフの様が伝わり、胸が熱くなる。『ホルス』のテーマのひとつである「団結」がそのまま形になって残る資料だ。
特に目を引くのは会社側との制作交渉に関する書類の数々。オミットすべき箇所の指摘、止め絵の使用や絵柄を簡略にとの指示、等々が具体的に記され、「表明されない限り、本作品の演出を降す。(原文ママ)」との言も見えて生々しい。
これら膨大な資料を何とか形に、せめて『ホルス』の制作過程で公に出来るものだけでも集めて本にすることは出来ないだろうか。最早、高畑監督の証言が得られないのが何とも言えない思いだが。

全4章の展示のうち、この第1章だけで、展示物の小さな文字を読み込み、メモを取りしてぐったり疲れる。途中で誰かに会って挨拶したのだが、熱に浮かされたようになっていて、顔もぼんやりとしか思い出せない。怖ろしい展覧会だ。
予告編が流れる『ホルス』の部屋を抜けると、次はプレヴェールからの訳著『鳥への挨拶』を飾った奈良美智の絵が並ぶ小部屋。高ぶる気持ちを鎮める良い構成だ。

続いて第2章「日常生活のよろこび アニメーションの新たな表現領域を開拓」。
幻の『長くつ下のピッピ』から『パンダコパンダ』を経て『ハイジ』『三千里』『赤毛のアン』の名作路線へ。
主催者側によると、作品ごとに主眼を決めて展示しているそうで、この章は絵の持つ力に着目。高畑のメモや作品ごとの構成案、絵コンテと共に、宮崎のレイアウトや小田部のキャラクタースケッチ、たくさんの背景画などが並ぶ。オープニングの原画も連続で展示。宮崎・小田部が手をつないで実演したスキップを森さんが原画に描き、小田部がキャラを乗せた、今となっては貴重なもの。鉛筆の柔らかい線が素敵だ。日常を描く細やかな仕事の数々に彼らがなそうとした新たな挑戦が表われている。
『ハイジ』の絵コンテの中に違う絵があると思えば、コンテマン時代の富野喜幸(当時)のもの。福岡で開催中の「富野由悠季の世界」展では、富野コンテを高畑が修正した『アン』の絵コンテが展示されていて共振を感じる。
コーナーの最後には1回だけ参加した『ペリーヌ物語』の高畑直筆の絵コンテも展示されていて、丸ちょん式だが感じの出た絵が見られて貴重だ。
横のミニシアターでは『ハイジ』第1話抜粋、『三千里』第2話抜粋、『アン』オープニングと的確なチョイス。
会場全体の構成や内装も行き届いていて、壁の色も章ごとに工夫を凝らされ、『三千里』周辺はイタリアの空を思わせる鮮やかなブルーで彩られている。
第2章では小田部と並び宮崎の絵も大量に展示されている。宮崎は『アン』の前に『未来少年コナン』の初監督を務め、『アン』の途中で『カリオストロ』のために高畑の下を離れた。高畑が「日本のアニメーションに遺した」もうひとつ大きな功績。それは演出家としての宮崎駿を育てたこと。『ホルス』以降の歳月は宮崎にとって最高の学び舎だった筈だ。これは現在の大家としての二人しか知らない人には想像もつかないだろうが。

さて、第3章「日本文化への眼差し 過去と現代の対話」。実に的確な章題だ。扱うのは『セロ弾きのゴーシュ』『じゃりン子チエ』『柳川堀割物語』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』。
壁の色は白になり、『火垂るの墓』部分だけが黒く怖ろしい。絵的な資料は膨大なのだが、逃げるように通り過ぎる。(「近藤喜文展」や「山本二三展」でも観覧しているので許してほしい)。
『ぽんぽこ』の展示では、複製画がびっしり印刷された巨大掛け軸が天井から床まで壁面いっぱいに垂れ下がる和風な趣向に目を奪われる。巨大なガラスケースの中には通常よりも小さい紙に描かれたイメージボードが大量に収められて圧巻。全体に絵の力に圧倒される第3章だが、高畑自身による創意工夫の跡が伺える資料は少なくなっている気がする。高畑の目が日本と日本人に向かい、その生活と歴史を実感をもって描き出すことに傾注していくのは、その作品を見れば一目瞭然ではあるのだが。
今回の展示とは無関係に将来的な話だが、PCの普及に伴って文字資料は上書きされて推敲の跡が残らない時代になるのだろう。

第3章と第4章の間に「フレデリック・バックとの交流」というスペースが取ってある。先のポール・グリモーといい、この辺りもこの展覧会の気の利いたところだ。重要人物のもう一人ユーリ・ノルシュテインは図録に高畑への言葉を寄せている。
バックの展示は『クラック!』『木を植えた男』の原画と、バックから高畑への手紙とそれに添えられた『トゥ・リアン』の原画。どれも美しく気高い。スケッチがそのまま動いているようなバックの手法とそこに込められた社会性の高いメッセージに高畑は大きな感銘を受けた。後年の高畑の挑戦は、バックのような作家が個人でなすことを商業長編の領域で、集団による分業体制のままなそうとしたとも言える。

そのための試みが第4章「スケッチの躍動 新たなアニメーションへの挑戦」に表われている。『山田くん』と『かぐや姫の物語』。人物と背景が渾然一体となった画面を実現させるために込められた凄まじい創意工夫。キャリアの出発点から自らが理想とするアニメーションの実現のためにスタッフに献身的な尽力を求めて突き進んできた高畑監督の到達点であり、日本の商業用長編アニメーションの概念を越境する試みである。
『かぐや姫』の展示は、予告でも印象的に使われた、疾走する姫と、桜の下で舞う姫の原画。赤ん坊の姫の柔らかな動きの原画もある。どれも見事さに言葉を失う。現在は『かぐや姫』当時よりももっと技術は進んで、殊に撮影パートの進化など目覚ましい。次の挑戦が実現していれば更に突き詰めたものが見られたかもしれない。
音声ガイドからは二階堂和美の歌う『かぐや姫』の主題歌『いのちの記憶』が流れ、「お別れの会」での絶唱が脳裡に甦る。
展示の最後は、はにかむような笑顔の高畑の写真と愛用のストップウォッチ。そこを抜けると『かぐや姫』のラストシーン、月に幼い姫の姿が浮かび、『天人の音楽』が流れる。ここは観客が現実に立ち返るための場所だろう。高畑監督は映画の観客が映画というファンタジーの中に浸り続けるのを良しとしなかった。実に高畑という作家を理解した締め括りだ。この展覧会を構成した人に敬意を表したい。
欲を言えば、「富野由悠季の世界」展であったように、人間・高畑勲についての展示も見たかった気はするが、ともあれ素晴らしい展覧会だった。全4章のうち第1章で気力体力を使い果たしてしまい、後半は急ぎ足になってしまったが、再度訪れようと思う。これから行かれる方は十分な時間配分を考えて臨まれることをお勧めしたい。

最後の物販は多彩。ステーショナリーから高価なアクセサリーまである。うっかりするとどれも買ってしまいそうで、気を引き締めて、一筆箋としおりだけにした。
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