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2019年05月31日04:25

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トヨタ2000GTのお話し

■トヨタ2000GTのお話し

昭和の30年代の後半のお話しです。小学校の5年生ぐらいだったかな。塾に通う道に止まっていたのが、トヨタのS800でした。流線型の2シーターのスポーツカーだったと思います。ハードトップとホロのオープンカー仕様があったと思います。

日本が少しずつ豊かになって行く時代の象徴のような存在で、4ドアのセダンではなく、廉価版のスポーツカーの登場です。ライバルにはホンダのS800がありました。そういうライバル関係がとっても面白い時代でした。

ヤマハはDOHC、ダブルオーバーヘッドカムの2000CCの高性能スポーツカーエンジンを開発していました。バルブを2つのカムで開閉して吸気と排気を強制的に行う、マルチシリンダーの6気筒エンジンです。

2座席に、プラスワンの横向き座席のスポーツカーのパッケージにそのエンジンを収めたのがトヨタ2000GTです。ホロのオープンカーと、ハードトップがありました。日本をフィールドにした007シリーズの、ジェームスボンドは2度死ぬのボンドカーに採用されました。

ボンドカーは真っ白なセクシーなボディのオープンカーで、後ろのトランクには複数のロケットランチャーが搭載されていました。高級感漂うウッドパネルの採用とか、高級機械時計のようなシャープなデザインのメーター類が埋め込まれています。

シフトノブはオリジナルはローズウッドだったのかな。細く華奢な感じのシャフトの分厚いメッキが印象的でした。子供だった僕には宝箱のような印象の車でした。当時の価格は260万円から340万円くらいの限定車だったと思います。

大学卒業の公務員の給料が1万円とかの時代です。300万円で立派な中古のお家が買えました。今なら3000万円くらいかな。とんでもなく高価な車でした。300台も生産されていないはずです。

いつだったか覚えていないのですが、1度だけエンジンをかけたのを聞いたことがあって、ウエーバーの気化器付きで、まるで鼻水を吸い込むような、もがもがシューシューという吸気音と、かちゃかちゃという、込もったメカニカルノイズが印象的なエンジン音でした。

大らかな時代でした。実は、車が大好きだったので、運輸省の研究所の中の車庫に通って、車のボディやガラスをピカピカに磨かせてもらって、中にも潜り込んで座席に座らせてもらって、中もホウキではいて綺麗にして、マットを布団叩きで叩いてピカピカにして、毎日通って、運転手さんと仲良くなりました。

座席にちょこんと座っていると、エンジンの掛け方に始まって、クラッチ付きの車の運転を教わっていました。広大な研究所の、閉ざされた構内でしたが、ルノーやヒルマンミンクスや、縦目のセドリックを研究所がお休みの日に、のろのろでしたが運転させてもらっていました。

だから、小学校の5年生の時には、チョークを引いて暖機運転もできたし、ちゃんとシンクロの甘い車の変速もできて、直進もできたし、スイッチをひねって、ベロみたいな方向指示器を出して、重ステのハンドルを必死で回して右左折も、バックもできるようになっていて、めちゃくちゃ車に興味がありました。

当時久里浜の運転免許試験は、小学校の校庭とか、自衛隊のグランドに白線で描いたコースを走ったり、車庫入れをやったりで、実地試験をして審査を受けていましたから、よく見学に行っていました。16歳で軽免というのも取れたような気もします。

街にはどっどどと走り回るオート3輪のトラックとか、ダイハツのミゼットとかも走っていました。まるで三丁目の夕日みたいな世界でした。そんな、のほほんとした時代に、トヨタ2000GTという、下々にはまったく関係のない、夢のような車が登場していたわけです。

そんな子供の頃の夢の車がトヨタの博物館に稼働する状態で保管されているそうです。その車のオーナーだったのが、お赤飯好き好きさんの父さんだったらしいのです。なんてオボッチャマンなんだろうこの人ったら。その息子さんは、今やタイムのアルプデュエズのオーナーだぜい!。



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