mixiユーザー(id:9783394)

2019年05月10日05:45

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0.003%(0166 VW HEBMULLER)

0.003% - 正確には0.00323278%、21,529,464分の696です。これ、何の数字か想像できます?
分母の21,529,464はVWタイプ1(ビートル。ヒットラーが肝入りで作らせたドイツの国民車。1938年誕生)の生産台数(歴代1位)、分子の696はそのうち「ヘブミュラー」というモデルの台数です。たったの696台、かといって特殊なクルマではありません。ホイールベースも全長もフツーのビートルと同じ、エンジンも同じ、格好もほとんど同じ。違うところは…ヘブミュラーは2+2のカブリオレなんです。
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第二次世界大戦で敗北を喫したドイツでしたが、VWはタイプ1の生産をいち早く再開させました。大戦中もVWはキューベルワーゲンやシュビムワーゲンといった軍用車を生産していたので、構造がほとんど同じタイプ1は生産を再開しやすかったのですね。
戦後はイギリス陸軍がVWを運営していましたが、 Major Ivan Hirst(アイヴァン・バースト少佐)とColonel Michael McEvoy(マイケル・マカヴォイ大佐)が話し合ってビートル・ベースのスポーティーカーを作ろう、ということになりました。まあ何とアタマの柔らかい軍の偉いさん達でしょう!さすがはアングロサクソン、日本人とは全然違いますねぇ!

そして敗戦で閑古鳥が鳴いていたコーチビルダーのWilhelm Karmann GmbH(カルマン)に4座カブリオレを、Hebmüller and Sohn(ヘブミュラー)に2座スポーツカーをデザインするよう依頼しました。
その結果、カルマンはビートル・カブリオレ(よく見かけるあのクルマです。カルマンギアはずっと後)を、ヘブミュラーは2+2のスポーツカーを作り上げました。
後者は、ビートルの黎明期にCharles Radcliffye(チャールズ・ラドクリフ)が作った所謂ラドクリフ・カブリオレの影響を受けつつJoseph Hebmüller(ジョセフ・ヘブミュラー)がデザインしたクルマで、1949年4月に行われた10,000km走行テストでの好成績も相俟ってVW(イギリス陸軍)は色めき立ち、ヘブミュラーに2000台オーダーします。
そして同年6月に7500マルクで販売が開始されましたが、VW(イギリス陸軍)が目論んだほど売れません。というのは、終戦から数年間は復興のためにトラックやバンなどの商用車が必要とされ、スポーツカーなんてほとんど見向きもされなかったからです。
個人の移動手段はバイクか超小型のキャビン・スクーター(イゼッタやメッサーシュミットなど)でも「贅沢!」と揶揄された頃に、2+2のヘブミュラーなんて言語道断だったのですね。

そして不幸な出来事が追い討ちをかけます。1949年7月23日、生産開始からわずか1ヶ月でヘブミュラーの塗装工場が火事を起こしてしまうのです。火災はクルマの生産ラインをも蝕み、ヘブミュラーは大変な被害を被りました。
結果的に1950年代初頭にはヘブミュラーは財政困難に陥り、1952年にカルマンにこのクルマを生産してくれるように依頼します。
しかし、結局は696台(プロトタイプ3台を含みます)生産したところで1953年に「中止」の命令が出ます。前述のような時代背景のため売れなかったのです。
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現在、ヘブミュラーは全世界に100台ほどしか残っておらず、超がつくほど稀少になりました。でも目敏いヤツはいるもので、ちゃっかりレプリカを作っている業者がいます。ブラジルはビートルを「フスカ」の愛称でライセンス生産していましたが、そこのTROCARという自動車修復業者です。
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